津喜エリア

 津喜区間(つきくかん)は、津喜都市モノレールの路線のうち津喜市内を走る区間のことをいいます。真影~県庁前間の1号線、津喜~柿取間の2号線、そして稲木海岸から穴川までの3号線がありますが、あくまでも書類上の区分です。実際の運行系統は主に真影~源(3号線稲木経由)、津喜港~県庁前、稲木海岸~柿取(2号線津喜経由)となっています。

 現在の起点は真影駅となっており、0キロポストはこの真影駅からの距離で記入されています。結急津電線の駅に隣接したこの駅は、2つホームがあるもののラッシュ時以外は1番線のみを使用します。そのため、昼は使わない2番線は時間帯によって階段付近にロープを張って入れないようにしてあります。真影~武石間が延伸開業したのは2009年のことです。

 武石(たけいし)は1993年から2009年までの起点。駅の真影側には車庫(津喜第二車両基地)があります。2面3線のホームとなっており、入庫または出庫する電車は中線を使用します。入出庫する電車以外にもこの武石で折り返す電車があり、その最たる例が「海浜シャトル」と呼ばれる臨時電車です。この海浜シャトルは、武石~検見浜メッセ間をひたすら往復するという臨時電車で、検見浜メッセやマリンドームでイベント、試合がある際に運行されます。通常は2両編成が10分間隔で運行されるこの区間ですが、「海浜シャトル」運行の際はこれが5分間隔となり、4両編成で運行される電車もあります。

 検見浜はNR、結急の検見浜駅の永京方にあります。ホームは2面2線の相対式。この検見浜から海浜検見浜、検見浜メッセまでは利用客が多いので、朝と夕方は4両編成が走ります。昼は基本的に2両編成で運行されますが、ラッシュ時並みの混雑となる電車もあり、終日4両編成で運行して欲しいという意見がとても多いようです。ホームが非常に混雑することもあることから、2019年7月にホーム柵(2連、4連のどちらにも対応)が取り付けられました。

 海浜検見浜は「海浜ニュータウン」の中心となる駅で、NR永津線の駅から見て永京側にホームがあります。駅の周辺は大企業のビルが建ち並び、その中には津喜県のFM局「TSUKI FM」の本社、スタジオが入っているビルもあります。ここから次の検見浜メッセ駅までは歩いて行ける距離ではありますが、より海に近い方に「検見浜メッセ駅」が別に設けられています。このあたりの駅は他の駅よりも気合いが入った作りになっていて、非常に近代的な見た目をしています。

 検見浜メッセ駅は名前の通り検見浜メッセの最寄り駅であり、ここから少し歩くと津喜県の野球チーム「結急オニオンズ」の本拠地であるマリンドームに行けます。この検見浜メッセ駅を出ると左に曲がって、海のすぐ隣を走る区間に入ります。

 津喜都市モノレールはその近代的な見た目と青色の車体が映えることから、津喜市を代表するアイコンの一つになっています。その津喜都市モノレールでも特に知られる区間が検見浜メッセ~稲木海浜公園駅付近までの海の近くを走る区間です。この付近は開業した1990年代からドラマの撮影地として有名であるほか、2010年代に入るとアニメの舞台として描かれる機会も増え、津喜市内でもこの付近に住みたいと思う人が多いようです。見た目はとてもおしゃれなんですが、沿岸故に鉄で出来たレールや柱などはすぐ錆びてしまいます。他の区間よりもレールの塗装頻度を短くしていますが、高い所にあるレールを下の道路の通行を妨げずに再塗装するのはかなり面倒くさく、世話が焼ける区間でもあります。

 稲木海岸駅では再びNR永津線の上を通ります。ここまでは永津線よりも海側を走っていましたが、ここからは永津線よりも内陸を走ることになります。また、駅の両得稲木方には津喜方面と穴川方面の分岐があります。津喜方面が内側の線路、穴川方面が外側の線路です。

稲木海岸駅-穴川駅

 ここからは実際の運行系統通りに、稲木、穴川方面へ向かう区間の解説をします。坂を上って津喜方面の線路を越えると、そのままの高さで今度は結急ベイコネクト線の線路を越えて、そして坂を下って両得稲木駅の方へ向かっていきます。

 両得稲木駅付近の道路は狭く、モノレールの線路を支える柱が歩道に堂々とあるので、少し歩きにくいです。この付近には稲木浅間神社やラストエンペラーの弟だか兄だかが住んでいたらしい洋館があります。稲木浅間神社は津喜市内では有名な神社で、車にこの神社のお守りステッカーを貼っている光景をよく見かけます。

 両得稲木駅は結急津喜線ホームの永京方にまたがるような作りで、他の津喜都市モノレールの駅と同じく2面2線の標準的な作りをしています。2021年4月から以前の両得電鉄は「結急電鉄」に名前を変え、そして路線名も両得津喜線から結急津喜線へと変わったわけですが、それでも駅名に関しては「両得」の名前をそのまま変えないでおきました。

 「両得」ではない「稲木駅」は、NR両武線と乗り換えることができる駅です。稲木はかつては各駅停車しか止まらない駅だったようですが、1960年代ぐらいに両武本線を津喜まで複々線化する時に快速線ホームを設けたことがきっかけで、快速電車が停車するようになりました。津喜市内の開発が怒濤の勢いで進んでいた時期なので、駅の両側にバスターミナルが設けられました。北に行く両得バス(中沼営業所)は北側、海の方へ向かう津喜海浜バスは南側のロータリーから発着していました。長い間バスがひっきりなしに発着していましたが、その光景が大きく変わったのが2002年。

 2002年。この年はモノレールの稲木海岸~稲木~穴川間が開業した年です。北側に関してはあやめ台や中沼営業所、山王あたりから来るバスが今も運行され、さらに団地バスも乗り入れてきます。一方で海側のロータリーは、稲木海岸に向かうバスのほとんどがモノレールに置き換えられたので、バスがほとんど来なくなってしまいました。

 モノレールの開業で大きな打撃を受けた会社があって、それは1960年代後半に両得電鉄自動車部(当時)が補助金目的で設立したバス会社「津喜海浜バス」です。稲木海岸エリアを拠点として稲木駅方面へ向かうバスを多数運行していましたが、NR永津線、そしてモノレールの延伸で少しずつ乗客が流出していき、そして2002年のモノレール稲木開業で大きく乗客数が減りました。その津喜海浜バスは、2003年の両得電鉄自動車部の分社化(両得バス)と同時に「両得バス海浜営業所」の一部に組み込まれ、かつては白と青のボディーだったのが水色に白帯の両得バス塗装へ変わったのです。現在稲木駅の海側ロータリーから発着するのは、歯科大学津喜歯科医療センターを経由して稲木海岸駅に向かう路線ぐらいで、それももちろん歯科大学が開いている時間ぐらいしか走りません。歯科大学も稲木海岸駅から歩いて行ける距離ではありますが、バスで歩かず楽に行けるのは足腰のあまりよくない人などには嬉しいポイントです。

 稲木の次は小中台駅です。駅の北には女子校、南は住宅地。ここからは女子校だけでなく、少し歩くと津喜高校もあります。モノレール開業前の2002年は両得バスがひっきりなしに走っていた区間で、そして今も渋滞の名所です。長いことバス利用者は渋滞でちっとも進まないバスにイライラしつつ、腕時計を見ては乗らないとまずい快速電車の時間を思い浮かべ、浮かない表情で見事に折りたたんだ新聞を舌打ちしながら読むという朝を過ごしていましたが、今は新しい道路もできてだいぶマシになってきました。

 穴川駅で津喜方面からの線路と合流します。この穴川駅には折り返し設備がないので、スポーツセンター駅を通って車庫のある源駅まで走って行きます。穴川~源間は真影からの電車と津喜からの電車が交互に走るので、5分間隔運行となっています。

 さて、ここからは再び稲木海岸に戻って今度は津喜方面に向かう路線の解説をします。

稲木海岸駅-津喜駅-都我駅

 稲木海岸の分岐をまっすぐではなく、右に曲がるのが津喜方面へ向かう線路です。ここから津喜みなとまでは内陸側に団地、海側にはなんかの工場となんかのお店があります。右に曲がるとこじま通りをしばらく走って、そしてしばらくしたらまた曲がって今度は永津線通りの上を走って行きます。こじま通りは「こじま公園」が名前の由来です。そのこじま公園というのは、その昔「こじま」という船を埋め立てる前に持ってきて、そしてその場所に泊まったままの状態で周りを埋め立てたという公園で、要は「こじま」という船が公園に鎮座していたのです。ただ、だいぶ前に老朽化でその船は解体されてしまったらしく、今では「こじま」という名前だけが残るのみ。たまに子どもが「おおしま」ってわざと間違えて言うことがありますが、「こじま」だよ。

 「永津線通り」に関しては、すぐ横(海側)を永津線が走っていることに由来します。モノレールも津喜港駅まではずっと永津線の脇を走って行きます。津喜港までの途中駅は、「幸町(さいわいちょう)」と「新港」です。どちらも内陸側に隣接する幸町団地の住民に利用されている駅ですが、結急津喜線の駅まで歩いて行ける距離なので利用者数はそれほど多くないようです。

 津喜港(つきこう)駅は、津喜ポートタワー、津喜県立美術館などが近い海辺の駅です。NR永津線との乗換駅であり、津喜駅を経由しない永津線から津喜駅に向かう場合、このモノレールで向かうルートが鹿居駅経由よりも早く到着する場合があります。この津喜港駅は、結急アーバンループ線の「津喜みなと駅」、及び「市立津喜高校(つきこう)」とよく間違われる駅なので、タクシーでこの駅に向かう場合は必ず「永津線の津喜港駅」と言えば混乱せずに済みます。タクシーの運転手もそこらへんは心得ているので、間違えないように確認をしてきますが、たまに「違うところに来てしまった」ということが有るらしいので気を付けましょう。

 津喜港駅を出ると永津銀行のビルの前で左に曲がり、市役所前駅に到着します。その名の通り津喜市の市役所の前にある駅で、周辺には永津銀行、津喜銀行本店、国道357号線などがあるビジネス街となっています。

 津喜駅のモノレールホームは結急線とNR線の上をまたがるようにして存在しており、ホームは2面4線です。外側が県庁前方面、内側が穴川、柿取方面になります。また、駅の南側にはやごう津喜店と21シティー(ツーワンシティー)ビルが隣接しており、モノレールを近くで見られるビュースポットもあります。駅の津喜公園、栄町方はしばらく県庁前方面と穴川方面が併走するので、複々線となっています。駅前で大きな存在感を放つモノレールの線路構造物と、その下をスイスイと走るモノレールは津喜市の都市のアイコン的存在となっており、周辺に建っているビル群と共に「大都会津喜」を象徴する光景となっています。

 津喜公園駅は津喜公園に隣接して設けられている駅です。津喜公園は津喜市中心部に近い「都会のオアシス」であり、大昔に津喜寺村と三倉部村の領土争いの舞台となった「打綿池(津喜寺村が三倉部村から強奪した)」や、津喜NEXTドーム(国際規格の競輪に対応)、津喜公園体育館に津喜市生涯学習センター、津喜市中央図書館などなどがあります。また、この近くを拠点とする会社がおしゃれなカフェを作ったり、新しいサービスを始めたりしていて、津喜市内でも熱いスポットとなっています。

 この津喜公園というのは、古くから津喜市民に親しまれている公園ですが、戦前は鉄道連隊の施設の一部であり、今もその名残が公園の各所に残っています。また、2000年前の蓮を発掘してそれを咲かせた蓮が有名で、時期になると蓮を見に来る人が近隣からやってきます。夜に来ると人気がまばらでとても静か。ランニングに適した場所であることから多くのランナーが走っています。

 駅の東側(津喜公園と反対側)は「椿森」のエリアです。椿森といえば結急津古線、若葉の森線の駅がある場所ですが、津喜公園駅からも歩いて行くことができます。かつては軍事施設が密集していたらしいですが、戦後は津喜市中心部に近い住宅街として開発が進み、便利で静かな住宅地として人気があります。

 津喜公園駅を出ると左手に津喜NEXTドームを見つつ、新三倉部(しんさくらべ)駅に到着です。開業時にすでに両得津古線(当時)の三倉部駅があったことから「新三倉部」という駅名になりました。結急津古線の三倉部駅からは歩いて10分ほど。西側には津喜東高校、津喜経済大学などの学校があり、そして東側は本来の三倉部の中心となる地域。結急三倉部駅まで続く道は古くからある道で非常に狭隘ですが、その途中にはクリエイター集団「次組(つぎぐみ)」のスタジオや、裸で踊る高学歴芸人が通っていたという「都我(とが)小学校」があります。

 以前はNR今北の社宅があった天台を通ると、稲木方面からの線路が合流してくる穴川駅に到着です。モノレール第一期開業時はこの穴川駅が終点だったのですが、穴川駅には折り返し設備がありません。そのため、穴川から車庫のある源までは片側の線路だけを使い単線扱いで運行されていたそうです。

 穴川駅を出ると津喜県の大動脈、仙豊自動車道の上を通り、ほどなくしてスポーツセンター駅に到着します。このスポーツセンター駅はその名の通り津喜県総合スポーツセンターの最寄りであるほか、国道16号線を挟んで向こう側には結急津電線の駅があります。モノレールのホームと津電線のホームは屋根のついたペデストリアンデッキで結ばれており、ラッシュ時は多くの乗客がモノレール、津電線に乗り換えていきます。津喜~スポーツセンター間は津古線や両武線が近くを走ることから、近隣住民の利用はそれほど多くないのですが、この津電線から多くの乗客が乗り換えることからラッシュ時は特に混雑します。

 スポーツセンター駅から源駅までは、右に曲がったり左に曲がったりして津喜県野球場、陸上競技場の間を通ります。源駅は車両基地がある駅で、2面3線構造になっています。車庫から出たり入ったりする電車は中線を使用します。源駅の近くには「ろっぽう水の道」という遊歩道があり、この遊歩道を南の方へ歩いて行くと津喜都市モノレール第一車両基地があります。

 津喜都市モノレール第一車両基地は、車両の留置のみでなく車両の検査や新車の搬入も行われます。第二車両基地にも検査設備はありますが、4年に一度行われる「重要部検査」が出来るのはこの第一車両基地のみ。また、地面から走行面へ車両を持ち上げるための設備があります。

 余談ですが、このろっぽう水の道は仙豊自動車道、国道16号の方を通り、結急三倉部駅の近くを通って東津喜駅の方へ流れていきます。

 次のよつわ台駅は「よつわ台団地」の中にある駅です。結急津古線のよつわ台駅ホームからは100mほど離れた場所にありますが、駅の名前は同じです。団地に住む人々は主に津古線を使って津喜へと向かいますので、駅の利用客数はさほど多くありません。ラッシュ時は通勤客よりも高校生の方が多く、稲木海浜公園方面や桜木、三城方面、さらに次の都我で乗り換えて街道宿に向かうようです。

 都我(とが)駅はNR両武本線との乗換駅ですが、都我~三城間の沿線住民は三城で結急津喜線に乗り換えたり、両得バスで津喜駅にそのまま行ったりするので利用者数はさほど多くないようです。2020年度までは駅構内にデジタルサイネージが設置されていましたが、現在は撤去されてしまいました。

都我駅-柿鳥駅間

 都我駅から三城駅(さんしろえき)までは複線区間が続きます。この区間は津喜都市モノレールでもっとも早く開業した区間の一つで、需要としては都我駅または三城駅に向かう需要のほか、海浜検見浜駅まで乗り通す需要も多いようです。

 三城駅から柿鳥駅(かきとりえき)までは1990年に開業した区間です。鉄道空白地帯だった大宮台駅(おおみやだいえき)周辺の交通アクセスのために建設された区間で、大宮台駅から坂月駅、柿鳥駅方面へ向かう需要が多いです。

 終点の柿鳥駅からはかつてつはら台駅(結急つはら線・海千キリン線)方面への延伸計画がありましたが、採算がとれないとして計画廃止されました。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2023年02月25日

当ページ公開開始日 2021年09月26日