津喜高架市電

概要

 津喜高架市電(つきこうかしでん)は、津喜県津喜市中央区の東津喜駅(ひがしつきえき)から、同じく津喜市中央区の赤井駅(あかいえき)までを結んでいた、津喜市交通局の路線です。2017年4月7日深夜に、翌日に開業した両得電鉄若葉の森線(現在は結急電鉄が運営)の開業に伴い全線廃止されました。

 1928年から運行されてきた津喜市の市電が、交通渋滞により定時運行することが難しくなったことから、併用軌道部分を高架線とした路線です。1962年に市電高架化計画が発表され、1965年に東津喜駅から県庁駅(けんちょうえき)までが高架化。その後、1967年に津喜寺駅(つきでらえき)までの高架化が完了し、専用軌道である津喜寺駅~赤井駅までと共に廃止時と同じ運行形態になりました。

路線データ

 管轄 津喜市交通局

 軌間 1064mm

 複線区間 全線

 電化区間 全線(直流600V)

 保安装置 ATS

 最高速度 60km/h

運行形態

 東津喜駅から県庁駅までの高架しか完成していなかった頃は、地上を走る路面電車と一体的に運行されていました。また、当時は車両が路面電車の車両そのものだったことから、低床ホームが設けられていました(後に高床ホーム延伸に伴い廃止)。昼間は15分ほどの間隔で運行されていたようです。

 東津喜駅~赤井駅までがすべて「津喜高架市電」の路線として運営されるようになった1967年からは、東津喜駅から津鐘電鉄(つかねでんてつ)との相互直通運転を行うようになりました。津鐘電鉄は、現在の結急光鐘線(ゆいきゅうひかりかねせん)であり、当時は東津喜駅からアーバンループ線の道場坂上駅(どうじょうさかうええき)を経由し、都駅(みやこえき)から光鐘方面へと走っていました。直通電車はラッシュ時、昼間ともに10分間隔のパターンダイヤで運行されたほか、この年から4両編成での運行が開始されました。

 1993年には、津鐘電鉄が津喜みなと鉄道(当時)との相互直通運転を開始したことに伴い、直通電車の運行間隔が20分間隔に変更されました。また、1999年には昼間の運行間隔が7分30秒間隔に増やされましたが、この際に直通電車の運行間隔が30分間隔に再び変更されています。廃止時点のダイヤは、2002年3月ダイヤ改正の内容をベースとしており、朝ラッシュ時は5分ほどの間隔、昼間は7分30秒間隔で運行されていました。

所要時間(東津喜駅から)

津喜中央駅 3分

県庁駅 6分

津喜寺駅 13分

仁戸名駅 20分

年金プール駅 23分

赤井駅 25分

折り返し時間は4分以上を確保することとされていました。

ラッシュ時は1965年時点で最大8本(所要運用数12本)、廃線時点で最大11本(所要運用数12本)運行されていました。

車両

1000形

 1965年、津喜高架市電の開業と同時に導入された車両です。2両編成の連接車で、従来の路面電車に比べて車体の幅を広げたことや、両開きドアを採用したことから定員が増加しています。また、2両編成を2本連結した4両編成での運行に対応できるよう、前面には貫通扉が設けられました。

1100形

 1985年から1991年の間に導入された車両です。車体がステンレス製に変更されたほか、窓を一段下降窓として車内の開放感をより感じられるようにしました。1000形と異なり、4両編成の連接車となっています。

1200形

 津喜高架市電は、1990年頃にモノレールに作り替えることが一時的に決まったことから、新型車両の導入がほとんど行われていませんでした。しかし、1000形は老朽化していたり、バリアフリー対応が出来ていないなどの問題があったことから、2007年度よりこの1200形が導入されました。

 津喜高架市電のイメージを刷新する目的で、車体はステンレス製ですが青色の塗装がされています。また、走行機器もIGBT-VVVFインバータ制御を採用した静音設計とされ、旅客サービス及びメンテナンス効率の両方を改善できました。2008年度にかけて4連7本が導入され、2017年の廃線後は寺浜県の雪宮電鉄に全車両が譲渡されました。

沿線概況

 起点の東津喜駅(ひがしつきえき)は、津鐘電鉄とホームを共用しています。駅は2面3線構造で、ホームは長さ55mです。NRの東津喜駅に隣接しており、1993年以降は津喜市交通局管理ホームとなっていました。

 院内駅(いんないえき)は、1950年代後半頃までの中心地にある駅です。開業時は道路の上に敷設された鉄の桁の上を路面電車が走る光景が立派で、斬新に見えたそうですが、今は街の中心が津喜駅や津喜中央駅など他の場所に移動してしまい、昔のような賑わいを取り戻せるかが鍵となっている地域です。

 津喜中央駅(つきちゅうおうえき)は、両得電鉄(当時)の駅と連絡する駅ですが、200mほど離れています。両得電鉄の駅と繋がっている地下通路を建設する計画もありましたが、結局建設されないまま廃線となっていまいました。

 津喜城駅(つきじょうえき)は、その名の通り津喜城(つきじょう)の坂の下にある駅です。津喜城は正式には「亥鼻城(いのはなじょう)」という名前なのですが、1960年代に本来存在しない天守閣をコンクリートで建設しており、ちょうど完成したのが高架市電の開業と同じタイミングだったことから、この駅名になりました。駅のそばを都川(みやこがわ)が流れています。

 県庁駅(けんちょうえき)は津喜県庁、津喜県警察本部に近い場所にあります。県の中央図書館、文化会館もあり、まさに県の中心部となる場所です。高架市電の通勤客は、そのほとんどが津喜中央駅・津喜城駅・県庁駅のいずれかで降りるか、両得電鉄に乗り換えるかするようです。

 津喜高校前駅は、県立津喜高校の西側に隣接している駅です。この津喜高校前駅付近は、専用軌道だった部分を高架化したことから、下は車道ではなく歩道や店があります。高校が近いということで、文具やスポーツ用品を扱う店がありました。

 上末広駅(かみすえひろえき)付近からは、津喜市から東に進んだ太平洋側にある「小網(こあみ)」へと続く「小網街道」の上を走ります。狭めの道の上に高架市電の線路がある光景は、他には見られない光景である一方、昼間でも暗かったり見通しが悪いなどの欠点も多いのが特徴です。高架市電廃線後、真っ先に線路が撤去されたのは上末広駅付近から津喜寺駅付近まででした。

 津喜寺駅(つきでらえき)で新たに建設された若葉の森線と交差した後は、再び専用軌道区間へと入ります。住宅地の中にあるふくろう公園駅(ふくろうこうええんえき)、高速道路の脇にある松ヶ丘駅(まつがおかえき)、そして仁戸名駅(にとなえき)の手前からは道路の隣を走るようになります。

 仁戸名駅は、ホーム(島式1面2線)が郵便局の上に設けられていたのが特徴です。「ガード下郵便局」として、地元民だけでなくテレビでも度々取り上げられています。2018年まで営業していたスーパー「ライト仁戸名店」にも隣接していたことから、改札口とライト仁戸名店の売り場をつなぐ屋根付きの通路もありました。ライト仁戸名店も津喜高架市電も今は無くなってしまいましたが、郵便局部分だけは高架線路が残され(レールは撤去されましたが)、高架市電が走っていた頃の面影を感じることができる場所となっています。

 病院脇駅(びょういんわきえき)は、近隣にいくつかの病院や医療機関がある駅です。アーバンループ線の仁戸名駅(高架市電の仁戸名駅とは別物)は、この駅の北側に新たに建設されました。

 年金プール駅(ねんきんぷーるえき)は、変わった名前ですが2013年まで駅に隣接していたプールが名前の由来となっています。プールが無くなった2014年以降も駅名はそのままになっていました。跡地はスーパーなどがある商業施設や、住宅地として再開発されています。

 終点の赤井駅(あかいえき)は、近くに県立津喜南高校があることから、学生の利用が多いのが特徴です。また、この駅からは赤井車庫に続く連絡線が続いていました。

歴史

 津喜高架市電の歴史は、混雑と貧弱な設備と戦う歴史でした。「路面電車をそのまま高架化」というアイデアは、定時運行率の向上、渋滞の緩和に効果的でしたが、ホームやそこに続く階段が非常に狭かったのです。特に両得電鉄への乗り換え客が多い津喜中央駅や、利用客が多い津喜城駅、県庁駅ではその問題が深刻でした。

 1973年、狭く危険な駅の改良工事が開始されます。津喜中央駅から工事を開始し、順次他の駅も改良する計画とされました。第一弾となった津喜中央駅の改良工事では、階段やホームの幅を広げたり、改札を設けたりしました。津喜城駅、県庁駅、津喜高校前駅、仁戸名駅も同様の改良工事が1979年までに行われましたが、それ以外の駅は工事が行われませんでした。

 1990年には自動改札機が導入されました。これに伴い運賃改定が行われ、以前は高架市電線内は均一運賃だったものを、距離に応じた運賃に変更しています。また、津喜高架市電線内から津鐘電鉄線の駅へ行った場合は、降りる際に精算をしなければならなかったのですが、この手間が省けるようになっています。

 高架市電は設備こそ貧弱ですが、道路の上を走るため渋滞することはありません。また、けが人が出る事故は一件もありませんでした。しかし、1990年代に入ると、電車の騒音問題があったことから、全線をモノレール(津喜都市モノレール)に作り替える計画が立てられました。1999年にモノレール化第一弾として津喜都市モノレールの津喜駅(つきえき)から県庁前駅(けんちょうまええき)までが建設されましたが、この頃に海千鉄道事業部の津喜市街直通化と両得電鉄北萩線(当時)の混雑緩和のため、モノレールではなく普通鉄道として地下鉄を建設する計画に変更されたことから、県庁前駅から赤井駅までのモノレール化計画は廃止されました。

 なお、2002年時点では若葉の森線開業以降は松ヶ丘駅から赤井駅までの区間は残すことになっていたほか、松ヶ丘駅から大森台駅まで線路を延ばし、若葉の森線と一体で計画されていた両得つはら線延伸区間の大森台駅に接続させることが考えられていました。

 高架市電の明暗を分けたのは、2005年に発表された「津喜環状鉄道線」計画でした。これは津喜みなと鉄道(当時)の線路を延伸し、津喜駅から鹿居駅、仁戸名駅などを経由して再び津喜駅に戻る環状線計画で、これは2007年に「アーバンループ線」として正式に建設が開始されることになりました。このアーバンループ線は、高架市電の代替となるルートとしたことから、高架市電は全線廃止するという方針が2009年に決定しています。

 全線廃止が決定した際、アーバンループ線のルートからは若干離れている赤井駅周辺の住民などがこれに反対したことから、赤井駅から仁戸名駅付近まで代替となるバスを新設することが地域住民に約束されました。

 2017年4月7日。翌日の若葉の森線、アーバンループ線の開業を待たずに高架市電は全線廃線となりました。廃線後は線路の撤去が行われることとなり、上末広駅付近から津喜寺駅付近までの工事を皮切りに、2017年12月までには東津喜駅から松ヶ丘駅までの線路・高架撤去が完了しています。この年の4月から7月に放送されたアニメ「もう私は代役じゃない」では、廃止直前の津喜高架市電が作中に登場したことから、鉄道好きや沿線住民だけでなくアニメ好きからも線路撤去を惜しむ声がありました。

 2018年になっても残された松ヶ丘駅から赤井駅までの線路は、復活を望む声や動態保存するべきという意見もありましたが、設備の老朽化や津喜中央バスによりほぼ同じルートでバスが運行されていることから、2018年3月から順次設備を撤去しました。赤井駅までの線路が完全に撤去されたのは、2018年10月のこと。奇しくも同じタイミングで仁戸名駅に隣接していたスーパー「ライト仁戸名店」も閉店し、仁戸名地区の象徴がどんどん消えていくことに寂しさを感じる人も多くいました。

 2019年には赤井車庫が完全に撤去され、今も高架市電の名残を残すのは、仁戸名の郵便局付近のみとなってしまいました。車両は1000形2両がふくろう公園に屋根付きで保存されています。また、1200形はまだ新しいことから、すべての車両が寺浜県の雪宮電鉄に譲渡され、葉山方面の路線で主に活躍しているようです。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2022年03月05日

当ページ公開再開日 2019年01月12日