海洋山岳開発鉄道

概要

 海洋山岳開発鉄道(かいようさんがくかいはつてつどう)は、風杜県やまだ市の富原山田駅(とみはらやまだえき)から、海上県の岸田口駅(きしだぐちえき)などの山岳部を結ぶ鉄道路線です。1925年に「海洋山岳開発(かいようさんがくかいはつ)」により線路が敷設され、貨物輸送のための鉄道として運行されていましたが、途中に本木(もとき)や春原(はるはら)などの村があったことや、山岳部の工場で働く人の輸送も兼ねて旅客運行も行われるようになりました。

 戦後は風杜鉄道公社による管理を経た後、1952年に海洋山岳開発に鉄道路線が返還され、1961年からは鉄道部門を分社化した「海洋山岳開発鉄道」により運行されています。


 1970年代になると、後藤駅-岸田口駅間が延伸されましたが、この区間の一部は急勾配を登るためにアプト式とされました。ちょうどこの頃には後藤本線の電化と寺田線、谷線のディーゼル化(後に環境保全のために前線電化)が行われ、蒸気機関車は走らなくなりました。

 富原山田側ではNR富原本線との相互直通運転が行われており、比較的勾配の緩い富原山田駅-春原駅間にはNR富原の車両も乗り入れます。

車両

10000形

 1999年から2015年にかけて導入された車両で、客車によって運行されていた列車の一部を置き換えました。2両編成ですが、複数の編成を連結し4両編成として運行されることも多いです。

3000系

 1987年に登場した車両です。NR富原本線への直通運転に対応しており、4両編成または8両編成で運行されます。また、当鉄道では初めてVVVFインバータ制御(GTO素子)を採用したことも特徴です。

2000系

 1983年に登場した車両です。津喜電機(当時)の技術協力により、電気子チョッパ制御を採用した省エネ車両としてデビューしました。車体はアルミ製で、地下鉄及びNR各線への提案用として大型固定窓を採用しています。

 編成は4両編成で、2編成連結した8両編成として運行されることもあります。

1000系

 1965年に登場した車両です。当鉄道では初めての電車で、1980年まで導入され続けました。

 長い間主力車両として活躍してきましたが、10000系の導入によりその数を大きく減らしました。

沿線について

 起点の富原山田駅は、風杜都市圏近郊のベッドタウンとして賑わっています。近くにはNR富原の車両基地(山田車両センター(風ヤマ))があるなど、始発列車も多く運行上の拠点でもあります。ここから発車する海洋山岳開発鉄道は、名前が長いことから路線名の「後藤本線」として案内されることがほとんどです。

 途中の春原までは比較的人口の多い地域を走ります。電車は20分間隔で運行されており、1時間に1本は8両編成のNR富原本線直通列車が運行されています。それ以外の電車は寺田行き(1時間に1本)、岸田口・南岩手行き(1時間に1本)が運行されており、寺田行きは2両または4両、岸田口・南岩手行きは途中の後藤で切り離しを行うことから、4両編成で運行されています。

 後藤ではアプト式区間に入る岸田口方面と、谷線南岩手駅方面が分岐します。周辺は山岳地帯であることから用地に余裕がありませんが、それでも長い貨物列車の運行に対応した貨物ヤードと機関庫があります。電車はここで切り離しを行い、岸田口方面は急勾配をゆっくりと、そして南岩手方面は急カーブをゆっくりと走ります。

 谷線に入ると、後藤の次の南後藤で東洋線東洋団地駅方面が分岐します。東洋団地は山岳部にある工場で働く人のための団地として1950年代から順次造成されました。しかし、現在は山を下った春原に海洋山岳開発の社宅があることや、自然災害対策として一部箇所を閉鎖していることもあって人口が大きく減少しているようです。それでも1時間に1本は電車が運行されています。

 谷駅(たにえき)では、更に南へ向かう海上鉄道の線路と接続しています。海上鉄道はセメント会社の傘下に入っており、親会社と海洋山岳開発は競合関係にあります。一方で旅客輸送では協力的な体制となっており、後藤駅-海上駅間の直通列車も一日数本設定されています。

 南岩手駅周辺は民家がありませんが、セメント工場などがあり完全に働く人のための駅となっています。どこぞの海なんちゃら駅とは違って改札外に出ることはできますが、奥の奥へと進む林道にしか行けません。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年07月19日

当ページ公開開始日 2022年06月12日