津喜エリア

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津喜県について

 津喜県(つきけん)は、永京都から見て東側にある県で、「(空想世界における)首都圏」を構成する県の一つでもあります。県庁所在地は津喜市。また、政令指定都市は津喜市と古林市の二つとなっています。

 県内には、津喜港(つきこう)、海外への玄関口である富街国際空港(とみまちこくさいくうこう)があり、貨物、旅客ともに海外への玄関口、交流の拠点となっているのが特徴です。津喜港のある永京湾地域は、石油化学工業に加え、結急グループ(結急電鉄・結急不動産など)やリヒト(全国各地に商業施設を展開している)、津喜製作所(家電から鉄道車両まで手がける総合電機メーカー)などの大企業の本社もあり、経済の中心地となっています。

 県内北部の昇田(しょうだ)市や樫葉(かしは)市など、NR常盤本線(ときわほんせん)の沿線地域は「東葛(とうかつ)と呼ばれています。昇田市は全国的にも有名な醤油の産地で、県内東部の桃志(ももし)市と同じく知られています。東葛地域は、永京湾地域と同じくらい宅地開発が進められており、人口が多いです。主に永京都心で働く人が多く、昼間よりも夜間の方が人口が多いです。この傾向は古林市も同じで、古林市の場合は津喜市内で働く人も多く住んでいるのが特徴となります。

 県東部の桃志市、渡辺(わたなべ)市は、太平洋に面する漁業の町として知られています。また、桃志は醤油の産地、そして渡辺市の内陸部には工業団地があり、漁業以外の産業もあります。どちらも昭和の香りを残す街並みや鉄道車両が走っていることから、観光目的で町を訪れる人も多いようです。

 県南部で一番大きな都市は、仁江(じんえ)市です。この仁江市は、江戸時代より現在の仙豊県やさらに南の鳥豊地方(とりとよちほう)、富原地方(とみはらちほう)を結ぶための交通の要衝として栄えてきました。仁江と仙豊県の岸宮(きしみや)を結ぶ船は「仁岸船(じんきしせん)」と呼ばれ、長年親しまれていました。現在は鉄道・道路ともに海底トンネルが開通しており、往年の渡し船はもうありません。2017年7月までは「仁江空港」という、国内線線用の空港もありました。

自治体

津喜市(つきし)

 津喜県の県庁所在地であり、政令指定都市でもあります。8つの区から構成されており、そのうち「街道宿区(かいどうじゅくく)」と「幕沼区(まくぬまく)」は、2006年に別の市を併合した区になります。津喜県内でも鉄道網がかなり充実している地域で、市内各所を結ぶ懸垂式モノレールも走っています。

 戦前は軍郷に指定されており、主に陸軍の施設が集中していました。戦後は海岸を埋め立て、火力発電所、製鉄所などが建設され、工業の街となりました。次々と開発が進められていったのは1960年代以降のことで、道路整備が追いつかなかったことから、慢性的な渋滞に悩まされています。また、工業だけでなく大規模な商業施設や企業の本社・支社があることから、市内で働く人も多いです。その一方で、市内の西部、幕沼区や検見浜区(けみはまく)、稲木区(いねきく)、美浜区(みはまく)には、永京都心で働き津喜市内に住むという人も多いです。

 2010年代に入ると、中央区の鹿居駅(しかいえき)から見て海側や、2017年に開業したアーバンループ線沿線の中央区星久喜駅(ほしぐきえき)周辺など、再開発の余地があった場所の再開発が進められ、海側にはオフィス、内陸の星久喜などには高層マンションが建設されました。首都機能分散も行われ、一部省庁や企業の拠点が津喜に移転してきたのもこの頃です。

古林市(ふるはやしし)

 津喜市から見て北側にある政令指定都市です。江戸時代は利根川沿いの水運の街として栄えていましたが、1950年代後半頃から永京都心の近郊にあるということで、宅地開発が急速に進められました。大規模団地である草深団地(そうふけだんち)や、市内の中央部を貫く津喜ニュータウン(つきにゅーたうん)なども建設され、2020年時点では人口が97万人ほどとなっています。5つの区から構成されており、永京都の上谷駅(かみやえき)と遠山原県の遠山原駅(とおやまはらえき)を結ぶ特急電車もすべて停車することから、サービス業も発展しているようです。

北萩市(きたはぎし)

 内郷エリア最大の都市で、海底トンネルにより永京都心とも結ばれています。1960年時点では5万人ほどの人口でしたが、海底トンネル開通後、人口が急増し、2023年時点では52万人ほどが住む中核市となりました。

 主な産業は工業と農業で、沿岸部には津喜製作所の鉄道車両工場があります。また、永京都心、津喜市街へ通勤する人が多く住んでおり、ベッドタウンとしても栄えています。

仁江市(じんえし)

 人口20万人ほどの市です。2017年までは、国内線専用の空港である「仁江空港」があることでも知られていました。

 その昔、仁江と岸宮(仙豊県)を結ぶ渡し船がありました。これが八田山と永京(昔の江戸)を結ぶルートの一つとなっていました。岸宮側は平地が多く、住みやすい場所の面積が広いです。しかし、仁江側は郷得丘陵(ごうとくきゅうりょう)が近くまで迫っていることから、住みやすい場所の面積が岸宮側より狭いです。その中で仁江市の西側は、比較的平坦で住みやすい場所でした。おいしいお米も作れます。そのような立地のため、郷得半島の交通の要衝として古くから栄えてきたのです。

 近隣の館山、大滝、北萩(きたはぎ)や仙豊側から、多くの人や物が集まってきました。百貨店の「仁江屋」や、地銀「仁江銀行」、また後に津喜製作所となる「仁江重工業」もありました。

津喜県を走る鉄道


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2024年01月04

当ページ公開開始日 2018年05月20日