瑞朝・瑞城線

概要

 結急瑞朝・瑞城線(みずあさ・みずきせん)は、遠山原県内を走る結急電鉄の鉄道路線です。このうち、朝湊駅(あさみなとえき)から大迫駅(おおさこえき)までは瑞朝線、大迫駅から神崎駅(かんざきえき)までが瑞朝線となります。

 両路線ともに一体的に運行されており、沿岸部の朝湊エリアと内陸の瑞城・古関・神崎エリアを街道沿いに結んでいます。また、住宅街を走る区間、山岳地帯を走る区間、水田を走る区間など車窓の変化に富んでいるのも特徴です。

 管轄 結急電鉄得原支社

 軌間 1067mm

 最高速度 100km/h


運行形態・車両

 朝湊駅-神崎駅間で運行される普通電車は、30分間隔で運行されています。編成は2両または4両で、80系で運行されます。

 朝湊駅-山王駅間で運行される遠青線直通電車(急行または各停)は、30分間隔で運行されています。直通区間では普通電車も運行されることから、15分間隔のパターンダイヤが組まれています。

 車両は6両編成の10系0番台や、80系などが用いられます。

沿線概況

瑞朝線朝湊駅-山王駅

 瑞朝線区間は、1972年まで国鉄の路線として運営されており、沿線の炭鉱から多くの石炭を運び出していました。しかし、炭鉱の閉山により貨物列車を走らせる必要がなくなったことや、1942年までは結急電鉄の前身である得原鉄道が運営していたこともあり、1972年に当時の両得電鉄得原支社に返還されています。

 返還時は山王駅-大迫駅間が非電化で、非電化区間の旅客列車1時間に1本も走っていませんでした。これを当時の両得電鉄は大改良して、全線電化の上電車は1時間に1本以上走らせるようにしました。当時の利用状況を見ると過剰投資な気もしますが、これは他の区間と同じく電車を走らせることにより効率化を狙ったことや、朝湊地区の沿線で大規模開発を行うことを考えていたからです。

 実際に朝湊地区の朝湊駅-山王駅間では大規模な開発が進められ、両得電鉄などの手によって沿線に多くの住宅地が分譲されていきました。製鉄所や工場で働く人の多い朝湊地区では、住宅不足となっていたのも開発を後押ししました。

 起点の朝湊駅(あさみなとえき)は、3面6線の駅です。駅はNR線駅の北側にあり、市街地に近い立地となっています。当路線のホームは後から増設(1975年完成)したため、同じく朝湊駅を起点とする結急七里線側から見ると「八の字」のように分岐しています。

 電車はカーブを曲がると、しばらくの間国道沿いを北へと進んでいきます。ここから高速道路の脇にある行力駅(ぎょうりきえき)までの区間は、特に利用客の多い区間です。国鉄時代もこの区間のみの区間電車が設定されていました。一方で線路が国道と住宅地に挟まれていることから、複線化することが出来ず増発とスピードアップの障害となっています。

 この区間の途中の町屋駅(まちやえき)近くには、朝湊工業大学があります。朝湊には東洋製鉄朝湊製鉄所や、茨原製作所、半導体工場などがあり、工業に関する知識のある人財が求められています。その人財を育成するための大学ということで人気があり、駅周辺は活気に溢れています。

 駅前の定食屋「食べる」は、その店名がシンプルで覚えやすいことや、安くて沢山食べられるということで人気があります。安かろう悪かろうということはなく、味も思わず「うま」とつぶやきたくなるクオリティー。店主の竹並さんは「正直赤字ギリギリのところでやっているが、未来のために頑張っている学生さんの笑顔を見るためにこれからも頑張りたいです」と話していました。

 行力駅は、高速道路の近く(ICも近い)という立地を活かし、鉄道とバスの乗り換え拠点として整備されています。朝湊市街地へ向かう高速バスは、高速を降りたらまず行力駅に寄って、それから朝湊市街へ向かいます。路線バスは半導体工場や近隣の住宅街からやってきて、多くのお客様が電車や高速バスに乗り換えていきます。

 行力駅を出ると、西へとカーブして山岳区間の入口である山王駅(さんのうえき)へと進んでいきます。車窓左手(海側)には戸建て住宅地、右側(山側)には団地とその奥にそびえ立つ山が見えます。

 山王駅(さんのうえき)は、結急遠青線からの直通急行が折り返す駅で、この駅までは15分間隔で運行されています。また、国鉄時代はこの駅から先が非電化区間でした。ここから先は、川沿いに山を登っていく区間となります。

瑞朝線山王駅-大迫駅

 山越え区間です。当路線で最も標高の高い得原小櫃駅(とくはらおびつえき)まで山を登り続けた後、今度は瑞城駅(みずきえき)まで坂を下り続けます。国鉄時代は沿線の大寺炭鉱や御坂炭鉱へ延びる支線や専用線があり、そこから朝湊へと向かって石炭を運んでいました。

 御坂駅(みさかえき)は、まさに石炭輸送で大いに賑わった駅です。1960年代後半には駅周辺に多くの人々が住んでおり、その賑わいは朝湊にも負けないほどでした。しかし、1970年代前半頃に炭鉱が閉鎖されてからは人口が減少し、今ではゴーストタウンとなっています。

 得原小櫃駅は山の中にある駅。駅周辺は地形が険しいことから開発の余地がなく、民家もほとんどありません。一方で登山ルートの近くにあることから、登山目的でこの駅を利用する人は多いようです。

 末吉駅(すえよしえき)からは、谷間を国道沿いにゆっくりと下っていきます。駅近くの公民館に保存されているSLは、当路線が国鉄時代に活躍していた機関車であり、かつての名残を今に伝えています。

 倉岡駅(くらおかえき)付近からは住宅地の中を走ります。駅周辺には国道も通っており利便性は高いですが、当駅を使わずに遠山原線の駅までバスで向かう人が多いようです。、進行方向右手から結急遠山原線の線路が近づいてくると、程なくして瑞城駅に到着します。

 瑞城駅は3面6線の駅であり、遠山原線ホームの南側1面2線を使用しています。基本的に当路線は大迫・瑞城線方面への直通運転を行っており、朝夕の一部電車を除き遠山原線への直通は行っていません。

 駅を出ると坂を登って、遠山原線の上をカーブしながら越えていきます。進行方向を北へと変えたら、田園地帯の中を程ほどの速度で進みます。途中の森林公園駅近くには、駅名の由来にもなっている「古関森林公園」があります。この公園の展望台は山の高い所に設けられているため、遠山原や豊矢の街並みを遠くから眺めることができます。

 大迫駅は瑞朝線と瑞城線の境界です。戦前は「得原鉄道瑞城線」として同じ路線として扱われていた当路線ですが、戦時下の政策により分断され、再び同じ鉄道の路線となっても路線名だけは統一されず別々となっています。

瑞城線大迫駅-神崎駅

 瑞城線は、歴史的経緯により瑞城駅には行きません。路線境界の大迫駅は、今でこそNR豊矢線の上に跨がるような高架駅(1面2線)となっていますが、1975年までは北側(瑞城線)と南側(瑞朝線)に分断されていました。

 坂田駅で日吉線と合流すると、1駅間だけ複線区間となって古関駅(こぜきえき)に到着します。駅周辺は古関市の中心地であり、商業施設の古関マインや高校、総合病院もあります。利用客が多く駅も2面4線と立派な作りになっていますが、電車の本数がそれほど多くないことから、基本的に片側の1面2線のみ使用しているようです。

 古関駅を出ると、北へとカーブして田畑の中を走って行きます。国道からやや離れたところを走っているためか、途中の駅と住宅地までは若干距離があります。

 終点の神崎駅(こうざきえき)は、神崎線と合流する駅です。線路はここの先の大和田駅や、奉典線にも繋がっています。瑞朝・瑞城線と神崎線、そして奉典・遠青線の線路をそれぞれ活用すれば、環状運転も可能なのですが需要が無いことからツアーを除くと行われたことがありません。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2022年11月16日

当ページ公開開始日 2021年11月07日