樫葉線

かしはせん

樫葉線は津喜県の鎌原大仏と茨原県の米ノ井を結ぶ路線です。かつて衣昇線を建設した「北得鉄道」により敷設されました。

沿線は住宅地となっており、特に鎌原大仏~樫葉間の移動需要が多くなっています。通勤路線としては米ノ井→樫葉方面、樫葉→鎌原大仏方面の需要が多いですが、それほど混雑しません。特に樫葉~鎌原大仏間は日中の利用者こそそれなりにいますが、ラッシュ時は短い区間だけ使う利用者がメイン。利便性が悪いわけではないのですが、都心に直通するわけではないためこのような状態となっているのです。

樫葉線の気になる話題は、何と言っても2019年春に予定されている来戸本線への乗り入れでしょう。来戸本線樫葉~米ノ井間で行われる直通運転に先駆け、2008年からホームの延伸や設備の改良がおこなわれています。樫葉線内は各駅に停車しますが、ダイヤを見直して列車のスタートダッシュを改善。車両の性能を最大限に生かしたダイヤでライバルの常丸鉄道に挑みます。

来戸本線に乗り入れる車両は、両得本線(三城総合車両センター)から10系100番台を転用して確保する予定。10系100番台はすでに来戸本線を走る10系1300番台の姉妹車であり、このほかにも10系1300番台、1360系が使用される予定です。

当面は需要のバランスを考え区間列車も残す予定で、来戸本線への乗り入れがスタートすると樫葉~米ノ井間の運行間隔が日中7分30秒間隔(直通と区間列車交互運転)になります。

地味な存在だった樫葉線がどのように進化するかが楽しみです。

駅一覧・ダイヤ


車両

最新型は10系100番台。しかし主力は70系で、ステンレス車体の50番台と0番台が運行されている。

0番台は永京近郊では樫葉線ぐらいでしか見られない車両であるが、かつては両得本線、古林線などで運行されていた。ステンレス車体ではないため、車体が両得ブルーに塗装されている。「昔の両得電車」を今に伝える存在だ。

樫葉線の歴史

 樫葉鉄道は1923年に計画された。計画された背景には、京得電気軌道(現両得電鉄)古林線の開業が関係している。古林線は古林街道沿いに建設されたが、このエリアから樫葉へ向かうには狭い道をずっと歩かなければならず、とても不便だった。そこで、鉄道を敷設して樫葉と古林線を結んで利便性を高めようと樫葉鉄道が計画されたのである。

 樫葉鉄道のうち、古林線との接続駅鎌原大仏~樫葉間は1928年に開業。1930年には線路を北へ伸ばし、徒名川を渡って茨原県の米ノ井まで開業した。米ノ井までの延伸は、米ノ井の人々により誘致されたが、この延伸以降樫葉鉄道の業績は悪化している。業績の悪化とは直接関係がないが、1942年には両得鉄道に統合。両得樫葉線として新たにスタートした。

 戦後の樫葉線は、長い間新型車両が導入されず中古電車ばかりが走る路線となった。これは両得本線や古林線への新型車両の導入を優先したからである。1962年には古林線直通電車が廃止され、以降さらにローカル線としての役割を強めていった。

 1990年には車体を新たに製造した6800系が導入され、以降2003年までの間主力車両として活躍。樫葉線のイメージアップに貢献したが、純粋な新型車両ではない。また、車体長さが18mだったので混雑がひどく、結局20系や50系といった古い電車に置き換えられてしまった。ただ、20系や50系は2015年までに70系に置き換えられている。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2021年10月17日