津喜東西線

概要

 津喜東西線(つきとうざいせん)は、津喜県津喜市の香澄駅(かすみえき)と津喜県富街市の富街空港駅(とみまちくうこうえき)を結ぶ鉄道路線です。現在は結急電鉄津喜支社により運行されていますが、2016年11月30日までは「津喜急行電鉄」という別会社により運行されていました。

 運行形態は全列車が永京都心(高品、浜茄子町)と街道宿、富街空港方面を結ぶというものであり、特に空港アクセス列車「翔」はほとんどの時間帯で20分間隔運転を行っています。また、一般列車としては主に急行と各駅停車があり、朝ラッシュ時には快速急行も運転されます。

 日中は、特急「翔」が20分間隔、各駅停車(湾岸急行線かとく学園都市駅-高品駅-富街空港駅)が10分間隔で運行されます。なお、特急「翔」は、一部の電車が2022年11月26日より検見浜駅に停車するようになりました。

路線データ

 管轄 結急電鉄津喜支社

 軌間 1067mm

 複線区間 全線

 電化区間 全線(直流1500V)

 保安装置 ATS-P

 最高速度 160km/h(特急) 120km/h(通勤)


車両

N20系

 2009年に特急「翔」が当路線経由になった時にデビューした車両で、160km/h運転に対応しています。

80系100番台

 ベイコネクト・津喜東西線系統の主力車両です。

永阪46000系

 永阪電鉄からベイコネクト線経由で乗り入れてくる車両です。

沿線概況

香澄駅-街道宿駅

 起点の香澄駅(かすみえき)は、ベイコネクト線から分岐する駅です。津喜東西線は基本的にベイコネクト線と一体的に運行されており、早朝深夜を除きすべての電車が直通運転します。

 香澄駅自体は検見浜新都心(けみはましんとしん)の埋め立て地内に設けられている2面4線の高架駅で、駅周辺は団地となっています。津喜東西線が使用するのは、内側の2番線と3番線です。

 少し上ってベイコネクト線を越えると、線路が東へと続いていきます。次の検見浜駅(けみはまえき)は、結急津喜線NR両武線津喜都市モノレールと接続している駅です。利便性が非常に高い駅ということで人気があり、駅周辺は2010年代後半頃になるとタワーマンションが建ち並ぶようになりました。津喜東西線ホームは、2面2線の相対式となっています。

 検見浜駅を出ると、進行方向左側から単線の線路が合流してきます。この線路は当初は車両搬入のために建設された「検見浜連絡線」です。当路線の開業時はまだベイコネクト線が開業しておらず、車両の検査や搬入の際はこの線路を使って両得本線に転線していました。2009年から2018年までは、特急「翔」(当時は両得本線上谷駅発着)もこの線路を使用していました。

 花見川を渡ると、畑町駅(はたまちえき)に到着します。駅周辺は閑静な住宅街となっており、永京大学の運動場とセミナーハウスがあることから、学生の利用もあります。

 畑町駅の次の純丘駅(じゅんおかえき)では、津喜電鉄と接続しています。津喜東西線の線路は、この津喜電鉄と近くにある純丘JCTを越えるために高架線となっています。

 中沼駅(なかぬまえき)は津古線と接続している駅で、待避可能(2面4線)であることから特急の待避も行われます。かつては周辺に工場が集中しているエリアでしたが、2000年代以降工場の閉鎖が進みタワーマンションが建ち並ぶようになりました。1991年までは、この駅から津喜電鉄が街道宿駅まで直通していましたが、現在は廃止されています。

 山王駅(さんのうえき)を過ぎると、ほどなくして街道宿駅(かいどうじゅくえき)に到着します。1978年から2009年までの終着駅で、NR両武本線と接続している駅です。NR線が津喜経由で永京都心へ向かうのに対し、こちらは直線的なルートで永京都心へ向かうことから、この駅で当路線に乗り換えてくる人も多いようです。駅は2面2線の相対式で、NRの駅の南側に高架ホームがあります。

街道宿駅-富街空港駅

 2009年に延伸開業した区間です。永京都心から富街空港までの所要時間を短縮するために計画され、当初から特急の160km/h運転に対応した設計となっています。開業に合わせてそれまで両得本線(現在の結急津喜線)経由で運行されていた特急「翔」が、当路線経由の運行に変更されました。

 鹿渡駅(しかわたしえき)は旗野鉄道と接続する駅です。当路線の開業後は、駅周辺に住宅地や商業施設が建設され周辺の様子が大きく変化しました。この駅は待避可能な駅(2面4線)であり、特急の待避が行われることがあります。

 藤治台駅(とうじだいえき)は、寺井市内の住宅地に設けられた駅です。元々かつての「富街高速線」用の用地として空き地のまま放置されていた 場所に線路と駅を建設しました。かつては京香バスの路線バスが主な交通手段でしたが、当路線の開業により都心へのアクセスが一気に良くなりました。

 NR富街線の南酒々井駅(みなみしすいえき)南側付近でNR富街線と交差して、線路はそのまま富街空港へと繋がっていきます。この付近よりNR線からの線路とも合流し、線路も「富街空港連絡鉄道」が所有・管理する区間になります。1991年からNR今北の列車がすでに通っていた線路を、今は結急電鉄の電車も走っています。

 富街空港内には二つの駅があります。「富街空港第二ビル駅(とみまちくうこうだいにびるえき)」と「富街空港駅(とみまちくうこうえき)」です。前者が第二・第三ターミナル、後者が第一ターミナルに繋がっています。両駅ともNR線のホームと結急電鉄のホームに別れていますが、当路線の列車はNR線のホームから発着します。これは当路線が「津喜急行電鉄」として両得電鉄(当時)とは別だった頃の名残で、隣に結急の改札があるのにNRの改札から入って結急の電車に乗るという不思議な体験ができます。

歴史

 津喜東西線の前身となる津喜急行線は、1970年代まで計画されていた高速鉄道「遠山原高速線」を敷設する際、騒音問題で反対運動があったことから、その見返りとして利便性を向上させるための通勤路線として計画されました。当時は沿線の開発がほとんど進んでいなかったことから、建設費削減のため普通鉄道規格ではなくモノレールや新交通システムとして建設することも計画されていたようです。

 普通鉄道規格で建設することが決まったのは1972年のことです。これは両得電鉄が当時計画していた「湾岸高速新線(後のベイコネクト線)」に乗り入れるためであり、浜茄子町~街道宿間で6両編成の電車を15分間隔で運行することが計画されていました。しかし、湾岸高速新線は当時一部の区間がようやく着工したという状態で、都心部まで路線が伸びるまで何年も待たなければなりませんでした。(浜茄子町まで開業したのは1991年のことです)

そこで、湾岸高速新線が開業するまでは、両得本線(当時)の検見浜駅北側に連絡線を作り、そこを経由して両得本線上谷まで直通運転を行うこととなりました。

 1978年、第一次区間である検見浜~街道宿間が開業しました。開業時は4両編成のT10系を日中は15分間隔で走らせたほか、ラッシュ時には運行間隔を10分間隔にした上で8両編成も運行し、一時間当たり2本を両得本線上谷駅まで直通させました。その後、1980年には乗客数が増加してきたことから、一部の編成を6両編成に増結し、また1981年には10両編成の運行も開始されました。なお、両得本線直通電車については、検見浜駅北側付近の連絡線にホームがないことから、検見浜駅には止まりませんでした。

 同じ頃、中沼~街道宿間では津喜電鉄(当時)との相互直通運転も行っていました。これは津喜急行線を建設する際、並行する津喜電鉄の中沼~街道宿間を廃止したことから、沿線住民の利便性を確保するために行われていたものです。当時の津喜電鉄は12分間隔で運行しており、津喜電鉄の2000系が乗り入れたり、T10系が津喜電鉄線内に乗り入れたりしていました。

 1987年、両得ベイコネクト線が津喜市の海浜検見浜から浦原市の新浦原駅まで延伸されました。この新浦原駅では両得浦椿線(現在の外環ライン新浦原~椿菜間)と接続しており、浦椿線からさらに乗り換えることで都心アクセスが可能であることから、津喜急行線の検見浜止まりの電車を延伸運転することになりました。この延伸運転に合わせてT10系が増備され、ラッシュ時の運行間隔も最短で6分間隔に変更となりました。

 なお、当時はリヒトモール駅が開業しておらず、両得電鉄と津喜急行電鉄の境目は「西新都心信号所(現在のリヒトモール駅の西側)」となっていました。また、車両使用料相殺のため、T10系がベイコネクト線の津喜駅まで走るという運用もありました。

1991年にはベイコネクト線が浜茄子町まで延伸され、すべての電車がベイコネクト線直通となりました。その関係でラッシュ時に運行されていた両得本線上谷直通列車は廃止されています。また、増備車として両得80系0番台と共通設計のT20系が導入されています。

空港アクセス列車「翔」に使用されるN20系

 1990年代後半になると、一部が建設されたものの反対運動により開業に至らなかった遠山原高速線の用地や構造物を活用し、街道宿~富街空港間に新線を建設する計画が本格的に検討されるようになりました。2002年から工事が開始され、2009年に街道宿駅-富街空港駅間が開業しました。開業と同時にT30系(両得10系100番台と共通設計)がデビューしたほか、2013年までは、両得電鉄から70系0番台10連(6+4)がリースされていました。

 同じく2009年にはそれまで両得本線(当時)上谷~津喜~富街空港間で運行されていた空港アクセス列車「翔」が、津喜急行電鉄線を経由するルートに変更されました。1991年以来ほとんど使われていなかった両得本線(当時)との連絡線を活用し、街道宿~富街空港間では最高速度160km/hでの運転を行っています。

 なお、「翔」は全列車が両得電鉄所属のN20系により運行されています。このため、車両使用料を両得電鉄と相殺する必要が生じ、2009年のダイヤ改正以降津喜急行電鉄所属車両が津喜急行線に入らず、ひたすら浜茄子町と津喜の間を往復するという運用も登場しています。

 しかし、白帯の電車が津喜駅までやってくる光景はそれほど長く続きませんでした。津喜急行電鉄は、鉄道の統合、合併を推進していた津喜県などの方針により、両得電鉄に統合されることになったのです。実際に統合されたのは2016年の12月ですが、統合に備えて車両の塗装変更が2016年10月から行われました。また、塗装だけでなく形式も統合と同時に変更され、T10系は「70系300番台」、T20系は「80系0番台」、T30系は「10系300番台」という形式に変更されました。

 なお、津喜急行線内の運行は、新たに設立された「津喜急行支社」が行っています。また、車両は津喜支社の海浜車両センターで受け持つことになり、メンテナンスは津喜支社で担当しています。

 2018年3月10日のダイヤ改正では、空港アクセス列車「翔」が両得本線(当時)の永京始発から、ベイコネクト線の高品駅方面からの運行(高品始発または空港郷得ライン北萩・永京空港始発)に変更されています。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2022年09月18日