結急外環線

概要

 結急外環ライン(ゆいきゅうがいかんらいん)は、津喜県浦原市の新浦原駅(しんうらはらえき)から、椿菜市の椿菜駅(つばきなえき)までを結ぶ、結急電鉄津喜支社の鉄道路線です。椿菜駅から直通運転を行っている永京外環電鉄とともに、「外環ライン」という新浦原駅-民谷駅間の運行系統が形成されています。

 ちなみに、2019年3月16日ダイヤ改正までは「浦椿線(うらつばきせん)」という路線名でした。

 管轄 結急電鉄津喜支社

 軌間 1067mm

 電化区間 全線(直流1500V)

 複線区間 全線

 保安装置 ATS-P

 最高速度 100km/h


運行形態

 朝ラッシュ時は1時間あたり最大14本が運行されるほか、日中は快速運転も行われています。

 日中1時間あたりの運行本数は、快速2本(30分間隔)、各駅停車8本(7分30秒間隔)です。

 電車は2018年3月10日ダイヤ改正以降、永京外環電鉄から乗り入れる車両も含めてすべて7両編成で運行されており、一部の車両にはロング・クロス転換座席車両が連結されています。

 ロング・クロス転換座席車両は、2016年から運行を開始しました。

車両

10系100番台(7連12編成)

10系100番台特別塗装(7連1編成)

外環5000系(7両)

外環4000系(7両)

沿線概況

新浦原駅と猫実駅

 起点の新浦原駅(しんうらはらえき)は埋め立て地に造成された団地の中にある駅です。NR永津線の駅と直角に交差するように設けられており、地上に改札、2階に頭端式ホーム(2面3線)があります。この駅から浦原駅までの区間は、1981年に開業した区間です。当時はNR永津線が開業していなかったことから、新浦原エリアから都心に向かう際は浦原駅で両得浦原線(当時)に乗り換えるルートが主流でした。

 新浦原駅と浦原駅の間にある猫実駅(ねこざねえき)は、難読駅名としても知られる駅ですが、駅そのものの存在感は薄いです。駅の近くには郷土博物館があり、埋め立てられる前の浦原が漁師町であったことを伝えています。

浦原駅-椿菜駅

 浦原駅は津喜線と接続する駅です。1982年まではこの駅が起点で、当時は地上にホームがあったようです。1982年の延伸時に駅は高架化され、現在のように津喜線の高架線をまたぐようにしてホームがある構造となりました。ホームは椿菜方面が5番線、新浦原方面が6番線となっており、相対式で配置されています。

 浦原を出ると電車は北へ進みます。遠山原線との接続駅である満江駅(みちええき)までの間には、広尾駅(ひろおえき)と南満江駅(みなみみちええき)がありますが、どちらも1968年に同時に開業した兄弟駅です。

 満江駅はホームが2面4線構造となっており、遠山原線の高架の下にホームが設けられています。この駅では快速電車への接続や待避が行われることがあります。

 鹿骨駅(ししぼねえき)、篠崎河原駅(しのざきかわらえき)を通ると、江戸川を渡って電車は再び津喜県へ入ります。川を渡ってまもなく到着する市屋駅(いちやえき)は、NR両武本線と接続している駅です。現在は地下にホームがありますが、1972年に「浦椿鉄道」として開業した際は高架駅となっていました。これは当時は両武本線が地上を走っていたことと、近接して京香電鉄も走っていたことから、この2つをまたぐ必要があったからです。

 現在のように地下化されたのは1968年のことで、これは両武本線の複々線化と高架化を行うための処置でした。地下トンネルは当時の交通公団(現在の永京地下鉄)の規格に準じて建設され、このときに浦椿線を走っていた車両の車体更新が一斉に行われました。余談として、車体更新は古い車両の走行機器をそのまま流用して行われており、「見た目は新しいのに音はうるさい」ことから「偽新車」と呼ばれていたようです。

 電車は市屋駅を発車してすぐさま地上に出て、国分駅(こくぶんえき)、曽谷駅(そやえき)を通り来急本線と接続する秋山駅(あきやまえき)へと向かいます。秋山駅を出ると、上から読んでも下から読んでも野菊野駅(のぎくのえき)を経由し、終点の椿菜駅(つばきなえき)へ到着します。

歴史

 外環ライン(浦椿線)は「浦椿鉄道」として1927年に開業した。前年に開業した浦原電気軌道と違い、貨物輸送を一切行わずに旅客輸送のみを行うことを目的に建設された。

 浦原を起点に当時別荘地として知られていた市屋、そして椿菜を南北に結ぶ浦椿鉄道は、当初利用客数が少なかったものの、沿線の開発を少しずつ進めた結果、次第に乗客数が増えていった。

 1942年に両得鉄道(当時)に統合された後は、「都心に近いローカル線」として知られていたが、1950年代後半頃から急速に利用客が増加。1968年からは50系が導入され、車両の近代化が進んでいった。

 1975年に相互直通乗り入れを開始した。開業当初は4両編成で運行されていたが、浦椿線内での混雑がひどかったので翌年6両編成に変更された。現在も相互直通乗り入れは行われており、早朝深夜を除く時間で一体的な運行が行われている。

 201612月ダイヤ改正で、7両編成の運行が開始された。7両編成の運行が計画されたのは2005年。永京外環電鉄内での混雑が悪化していることから、7両編成化が実行されることとなった。

 2006年から新浦原~東大岩間のホームが7両編成に対応できるよう延伸され、2013年に工事が完成。あとは永京外環電鉄側の準備が完了するのを待つだけとなり、201612月についに7両編成が運行開始されたわけである。なお、7両編成化は2017年10月に完了。同時に浦椿線所属編成がすべて10系30番台(または増結中間車1030番台)に統一されている。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2023年03月07日

当ページ公開開始日 2016年09月17日