1965年に登場した車両です。1968年の仁江急行線(じんえきゅうこうせん。現在の結急八田山線上得中野駅-仁江駅間)開業や、1971年の仙豊鉄道(現在の結急仙豊支社)相互直通運転開始などを見据え、長距離運用に入れやすい設計としました。ドアの数を20系の片側4箇所から2箇所に減らし、座席はセミクロスシート(大半がボックス席)としました。
車両の走行機器は、経済性を重視した設計に変更されています。20系が1つの制御器で6つのモーターを制御する方式だったのに対し、30系は1つの制御器で8つのモーターを制御する方式に変更されました。4両編成を基本としており、Tc-M-M-Tcの構成となっています。この方式は50系にも採用されました。加速度は2.5km/h/s、最高速度は100km/hです。
福増車両区(2022年から使用開始されている福増総合車両センターとは別)に配置され、古急・仁江急行線と仙豊鉄道を結ぶ運用(津喜駅-八田山駅など)に充当されました。夏季には上谷駅-(奈原駅経由)-津久茂電鉄桃志駅間や上谷駅-(古林駅まわり)-桃志駅間の海水浴電車にも充当されました。
1971年からは、4両編成2本を繋げて8両編成とした上で、津喜駅と見旗駅・八田山駅を結ぶ急行に充当されました。ただ、2ドアでボックスシートであることから混雑に対応することが苦手で、1972年からは後述する50系との連結運用も誕生しています。
1985年度には、1978年より運行を開始した「長距離急行(両得電鉄上谷駅-神豊急行電鉄時野駅間)」に30系が充当されていることや、車両設備が時代に合わなくなってきたことから、内外装を大規模更新した車両が登場しました。
更新車は前面デザインを変更(70系0番台の設計時に検討されていたデザインと言われる)したほか、座席の一部転換クロスシート化、車体塗装の変更、窓の拡大を行い新車と比べても遜色のない車両となりました。また、長距離急行の増発に伴い、完全新造の車両(100番台として区分)も登場しています。
完全新造車は、団体輸送連合(当時)の誕生に備え、1986年度から1988年度にかけて4連30本が製造されました。既存の車体更新車との互換性を持たせるため、制御装置は抵抗制御のままとされています。
車体更新車(4連14本)は2004年から2005年に廃車解体。新造車は2006年から2011年にかけて長距離急行(現在のLライナー)から撤退し、団体輸送連合から両得電鉄に全車譲渡されました。
両得電鉄譲渡後は、仁江車両センターに配属されました。テーマパークのあるベイコネクト線登出駅方面への波動輸送用として4+4連5本、ライナー列車・ホリデー快速用として4+4連3本、臨時Lライナー用として4+4連4本、仙豊県北部(高初線など)の普通列車用に4連6本が用意されていました。
2016年度には、4連7本(1986年度製造車)が廃車されました。2019年度には追加で4連8本が廃車され、通常仕様の新車体車は4連16本体制となっています。
2023年6月時点では、福増総合車両センターに4連10本が配置されています。
1000番台は、1985年に登場した車両です。先頭車に展望席を設けたほか、当時は臨時電車として運転されていた両得電鉄上谷駅-仙豊鉄道高初線五閑駅間のリゾート特急(1986年に定期運転化)に充当するため、高初線基準で海側(五閑行きの場合進行方向左側)の座席は窓に向けられています。
なお、走行機器類は60系・70系に準じた電気指令式ブレーキと界磁チョッパ制御の組み合わせとなっています。
「30系」として区分されたのは、最初は既存の30系の走行機器を流用する予定だったからです。
海側の窓は、山側に比べて大きくなっている。
1985年度に8連2本が導入されましたが、好評であることや、長距離急行など他の電車にも充当できるように1986年度と1987年度に増備車(8連4本)が導入されました。この増備車は、連結器部分にカバーを取り付けてあります。
1988年冬には8連6本体制となり、上谷駅-五閑駅間の特急、長距離急行をはじめとして遠山原方面の臨時特急にも充当された。休日になると全編成がどこかしらへ走る日々が続き、1000番台にとって最も忙しい時期だったといえる。
1991年には久々の増備車として30-1007Fが登場しました。この車両は1000番台二次車と同じ見た目をしていますが、制御装置にVVVFインバータ制御が採用され、90系と同じ性能となりました。
なお、1000番台の全車両は2015年に二代目の30系が登場することから、形式が「60系1000番台」に変更されました。
2013年に仙豊支社の「千代・楠木線」用の観光車両として改造された車両です。
休日を中心に千代・楠木線の各駅停車や、臨時電車に充当されています。