結急北萩線(ゆいきゅうきたはぎせん)は、津喜県福増市の睦井駅(むついえき)と、富津市の中堀駅(なかほりえき)を結ぶ路線です。2019年3月16日のダイヤ改正までは津喜駅(つきえき)が起点でしたが、津喜駅から睦井駅までは案内上・書類上のどちらも「八田山線」となったことから、現在の区間に短縮されました。
人口450万人程度??の津喜市と工業都市として栄えている人口60万人程度の北萩市を結びます。かつては非常に重要度が高い路線で、各駅停車10分間隔、急行15分間隔、そして特急が運行されていました。現在は永京湾を横断する道路や鉄道(空港郷得ライン)ができたことにより、対都心間の移動の主流はそちらに移ってしまいました。
・特急(古林駅-津喜駅-北萩駅) 1時間間隔
・急行(津古線古林駅-浜実駅-北萩駅) 30分間隔
・快速(民谷線-津喜駅-北萩駅) 20分間隔
※当路線内は各駅に停車。
・各駅停車(津喜駅-北萩駅) 20分間隔
(一部は中堀駅まで運行)
・北萩駅-中堀駅 15分間隔
(急行と各駅停車の一部が直通)
停車駅
・特急は「津喜」を出ると、「鹿居」「両得睦井」「北萩」に停車。
・急行は「津喜」を出ると、アーバンループ線経由で「鹿居アリーナ」「花浜」「浜実」「両得睦井」「妹崎」「上得清川」「北萩」に停車し、北萩から中堀までは各駅に停車。
・準急は「鹿居」を出ると、「浜実」「両得睦井」に停車し、両得睦井からは各駅に停車。
・快速は、当路線内は各駅に停車。
睦井駅(むついえき)は、八田山線から分岐する駅で、2面4線の高架駅となっています。北萩線は外側の線路を使い、停車するホームは1番線と4番線です。内陸側が1番線です。
電車は高架線のまま、NR睦井駅方面へ向かう結急の連絡線と養老川(ようろうがわ)を渡り、飯沼駅(いいぬまえき)へ向かいます。駅は相対式の2面2線の構造で、近隣には高校がある住宅街となっています。
飯沼駅を出ると、すぐに坂を下って地上を走る区間になります。次の島野駅の手前からは、海側(北萩側進行方向右)に「平成通り(へいせいどおり)」が併設されており、しばらくこの道の近くを走り続けます。島野駅は平成通りが出来る前からある駅で、開業当時は田畑が広がるだけだったようですが、現在は開発が進んでいます。駅から内陸側へ進むと、「フルーツ通り」という道があり、その名の通り梨園などフルーツを育てていたり、直売店があったりします。
妹崎駅(いもさきえき)は、昔の妹崎町の中心部にある地上2面4線の駅です。近くにはNRの「妹ヶ崎駅(いもがさきえき)」がありますが、そちらとは異なり地名と同じく「ヶ」が入りません。この妹崎駅からは、起伏のある丘陵地帯に入ります。
椎津駅(しいづえき)は、北萩線で一番新しい高架2面2線の駅で、1996年に開業しました。駅の周辺は両得不動産により「シーズータウン」として開発され、以前はそのキャラクター「シーズー(小型犬のシーズーにちなんでいる)」が描かれた駅名標があることで知られていました(2019年8月に通常デザインのものに交換されています)。
椎津駅の高架を下り、掘割の中を進むと1面2線の蔵波台駅(くらなみだいえき)です。旧袖ヶ浜市の住宅地として平成初期に開発された「蔵波台」の中心となる駅で、駅の南側にはバスターミナルや両得バスの北萩営業所蔵波台車庫が設けられています。この辺りに住む人の多くは、海辺の工場で働く人だと言われていますが、津喜市内や永京都で働く人も多く、1997年に湾岸急行電鉄が開業する前は混雑により改札が詰まる(ホームに入りきれないため)こともあったようです。
飯富駅(いいとみえき)は掘割区間を抜けた高架線部にある2面3線の駅で、1986年に開業しました。2006年頃から駅の南東側に規模の大きな住宅地が造成され、その頃から利用客数が大幅に増えています。また、駅の西には「袖ヶ浜バスターミナル」が設けられており、永京都内や県内などへ向かう高速バス、近隣地域(NR巌根駅や東横田駅など)からくる路線バスがやってくる、交通の要所となっています。
中郷駅(なかさとえき)は2面2線の高架駅です。駅周辺は近隣の駅同様、住宅地としてな開発が進みましたが、隣の飯富駅と上得清川駅(かとくきよかわえき)の存在感が強く、近辺では地味な駅として知られているようです。駅の近くには特筆するほどの施設もなく、その存在感の地味さに拍車をかけています。
上得清川駅(かとくきよかわえき)は、1997年に開業した湾岸急行電鉄と接続している駅です。湾岸急行電鉄が出来た頃のこの駅は「小櫃川(おびつかわ)沿いのまだ開発されてない田園地帯」といった感じの雰囲気だったのですが、永京都内へのアクセスが大幅に良くなったことから、その後急速にタワーマンションが建設されていきました。特に駅の南側や小櫃川の向こうの中郷地区、さらにNR亀山線の隣駅、東清川駅(ひがしきよかわえき)周辺の人口増加は凄まじく、今では市の中心となる駅である北萩駅よりも利用客数が多くなりました。北萩市の中心は、いまやこの上得清川駅と湾岸急行電鉄の金田駅周辺へ移ったわけです。
上得清川駅そのものは、地上にNR亀山線、その上に結急北萩線、さらにその上に湾岸急行電鉄のホームがある3層構造。駅の北側には両得電鉄により建設された駅ビル「ツナイデきよかわ」があり、各線の改札へと繋がっています。結急北萩線は8両、湾岸急行電鉄は10両の電車がやってくる中で、NR亀山線は2010年まで1両編成の列車がやってきました。
清見台駅(きよみだいえき)は、北萩駅から見て東側の住宅街の中にある駅です。湾岸急行電鉄が開業する前はこの清見台地区が人口密度の高い地域でした。駅は2面2線ですが、外側に線路を2本増設して2面4線に変更できる構造になっています。結局、湾岸急行電鉄開業によりこの区間で速達電車を走らせる意味が薄れたことから、今も線路は増設されていません。ちなみに、近隣には学校が複数あることから、北萩市内の文教地区としても知られています。
北萩駅(きたはぎえき)は、2面4線の駅です。1971年までは8連まで対応のホームが国鉄北萩駅の東側に2面3線構造で存在していましたが、1971年に中堀駅まで路線が延伸されると、現在のような高架構造となりました。できた当時は殺風景な駅でしたが、1988年には隣接した土地に結急百貨店北萩店ができたことから、駅もリニューアルされてこぎれいになりました。バブル期にリニューアルされたこともあり、なかなか気合が入っている豪華なデザインなのが特徴です。
中堀駅までの区間は、1971年に開業した区間です。この区間は、当時最新鋭の工場だった周西製鉄所への通勤需要を見込んで建設されました。沿線の畑沢地区などの開発も行われ、現在では周西製鉄所以外への通勤需要も担う路線となりました。
途中には、畑沢駅(はたざわえき)と北周西駅(きたすさいえき)の2駅があります。いずれも2面2線の相対式ホームです。畑沢駅の近くにはリヒトモール北萩があるほか、北周西駅は周西製鉄所の入口に近い場所にあります。
終点の中堀駅は、1面2線の島式高架ホーム。駅の周辺は住宅地として開発が進んでいますが、隣接しているNR内郷線は本数があまり多くないので、結急北萩線を好んで使う人のほうが多いようです。建設された当時は、この駅のさらに先にある富津岬(ふっつみさき)方面へ線路を延ばす計画があり、以前はそのための用地も確保されていました。延伸は実現しませんでしたが、その代わりとして両得バス北萩営業所によって中堀駅-富津公園間の「中01系統」が1時間に1~2本程度運行されています。
CK01 睦井(むつい)
CK02 飯沼(いいぬま)
CK03 島野(しまの)
CK04 妹崎(いもさき)
CK05 椎津(しいづ)
CK06 蔵波台(くらなみだい)
CK07 飯富(いいとみ)
CK08 中郷(なかさと)
Ck09 上得清川(かとくきよかわ)
CK10 清見台(きよみだい)
CK11 北萩(きたはぎ)
CK12 畑沢(はたざわ)
CK14 北周西(きたすさい)
CK15 中堀(なかほり)
このうち、急行が止まるのは「妹崎」「蔵波台」「上得清川」「北萩」と、北萩から中堀までの各駅です。
日中は、急行30分間隔、各駅停車は7分30秒間隔で運行されます。北萩~中堀間は、7分30秒間隔で運行されます。
津喜線直通電車(10連) 三城車両センター所属
津喜線直通電車(10連) 雪松急行電鉄所属車両
津喜県内では、京得電気軌道が永京(業平)と県都津喜やその先の奈原を、京香電気軌道が永京(業平)と鳴田などを結んでいましたが、1910年代ごろに第三の都市間連絡電車として「北萩電気軌道」が計画されました。
県内の他の都市間連絡電車は、永京都心部と津喜県内を結ぶルートで計画・建設されましたが、この北萩電気軌道は津喜を起点とし、内郷エリア最大の主要都市である北萩までを結ぶルートで計画されました。
1926年に南津喜駅(現在の本津喜駅)から睦井駅(現在の両得睦井駅)間、1928年に睦井駅-北萩駅間が開業しましたが、当時は今ほど沿線人口が多くなかったことから経営難に苦しみました。
1930年代に入ると、北萩周辺が軍都として賑わうようになりました。起点となる津喜市側も軍事施設が多く設けられたことから、この都市間の移動需要が増加していきます。この時期には、鉄道連隊によって線形改良が進められました。
1942年、北萩電気軌道は陸上交通事業調整法によって両得電鉄の一部となり、「両得北萩線」として運行されるようになりました。これに伴い両得本線(現在の結急津喜線)両得本線汐見ヶ丘駅-南津喜駅間に連絡線が設けられています。
終戦後は独立する動きがあったものの、もともと経営状況が良くなかったことから、独立せずに両得電鉄の路線として残存することになりました。それからしばらくは両得本線から分岐する支線として地域輸送を担ってきましたが、夏季だけは海水浴客で大いににぎわい、当時の新型特急電車も入線しました。
1960年代に入ると、永津工業地域の開発が始まることとなり、沿岸部に多くの工場が建設されていきました。これに伴い工場で働く人々や家族が沿線地域に移り住んできて、人口が急増。また、1962年に両得睦井駅から分岐する古房急行鉄道も両得電鉄の路線となり、当路線の重要度が一気に高まりました。
1968年には古房急行線(現在の結急八田山線)上得中野駅-仁江駅間が開業し、1972年にはその先の仙豊鉄道とも線路がつながりました。北萩方面だけでなく仁江や仙豊県内からの電車も走るようになった当路線では、設備改良が進められました。
1960年時点での北萩線は、南津喜駅-両得睦井駅間が複線、両得睦井駅-北萩駅間は単線でした。電車はおおむね30分間隔で、1両か2両の旧型電車が運行されていました。
これが1972年(仙豊鉄道との相互直通運転開始時)になると、津喜駅-両得睦井駅間では特急(八田山行き)1時間間隔、急行(仁江方面行き)30分間隔、快速(北萩行き)1時間間隔、普通電車15分間隔(北萩行きと皆吉行きが交互)となり、電車の長さも最大で10両編成となりました。
この本数増加に対応するため、1971年には両得睦井駅-妹崎駅間、1975年には妹崎駅-北萩駅間が複線化されています。
津喜側のターミナルも大きく変化し、1964年に完成した新しい津喜駅は、地下2面4線の二層構造(最大10連まで対応)という規模の大きい駅となり、両得本線への直通電車も増発されました(詳しくは「津喜駅移転」をご参照ください)。
1960年代から1970年代までは、日本全体が発展していったことから、工業の需要が高まっていました。そんな中、北萩より先の周西町(すさいまち)に東洋製鉄の製鉄所が建設されることとなり、この製鉄所への通勤輸送を見込んで路線を延伸することにしました。
1971年に開業した北萩駅-中堀駅間は、北萩市と周西町の境目となる沿岸地域に敷設された路線であり、製鉄所及び新興住宅地と北萩駅・津喜駅を直接結ぶ路線として歓迎されました。
この延伸区間は全線立体交差化されており、延伸に合わせて北萩駅も高架化されています。高架化された北萩駅は、10連対応の2面4線ホームとされて新しい玄関口として賑わいました。
また、妹崎駅周辺などでは宅地開発が進められ、通勤時間帯の普通電車及び快速電車が増発されていったのもこの頃です。1980年には津喜駅-中堀駅間を結ぶ特急も運行開始されて、並行する国鉄内郷線の強力なライバルへと成長していきました。
1990年代に入ると、沿線開発もすっかり進んで運行本数が大きく増加していました。この当時の津喜駅-北萩駅方面間の毎時運行本数は、特急1本、急行2本、普通電車6本で、ライバルのNR内郷線と同等の運行本数(当時)を確保していました。
また、津喜駅-睦井駅間では古急・仙豊鉄道線方面からの電車も乗り入れており、北萩線電車に加えて特急2本、急行4本が乗り入れていました。
当時は津喜方面だけでなく永京方面への輸送も担っていた当路線でしたが、1997年にこの状況が変わる出来事が起きました。それは永京湾を横断する新路線「湾岸急行電鉄」の開業です。
湾岸急行電鉄は、永京湾を横断して都心側の高品駅までを結ぶ路線であり、運賃こそ高かったものの都心部までの所要時間を大幅に短縮しました。この路線と並行する道路の開業により、北萩市の人口こそ増加しましたが、当路線とNR内郷線が担っていた永京方面への旅客流動が流出してしまいました。
1998年11月のダイヤ改正では、朝ラッシュ時と日中の減便を行い、日中1時間当たりの運行本数は特急1本、急行1本、普通5本に減らされてしまいました。
その一方で、沿線人口は増加し続けており、特に湾岸急行電鉄との乗換駅となった上得清川駅や、中郷駅、飯富駅の乗降客数が急増していきました。上得清川駅周辺は、2005年頃までにタワーマンションや商業施設が次々と建設され、北萩駅よりも利用客数の多い駅となりました。
2005年。発展著しい上得清川駅に隣接して「北萩バスターミナル」が開業しました。このバスターミナルは、当路線及び湾岸急行電鉄と高速バスの乗り継ぎをスムーズに行えるよう設計されており、津喜県南部や仙豊県方面への高速バスが多く発着しています。
このバスターミナル開業と同時に、両得バス北萩営業所では「北萩ライナー」と呼ばれる専用塗装のバスで館山、仁江、物原や仙豊県内の見旗へ向かう路線を再編。ダイヤも当路線との乗り継ぎが良くなるように設定しました。
また、電車の増発を実施し、日中1時間当たりの運行本数が1998年11月以前と同じ水準に戻っています。
一方で、ライバルのNR内郷線がかなりの打撃を受け、特急電車の大幅減便が実施されるなどの影響を受けています。
利用客の多くは津喜市内を目的地としている当路線。一時期は湾岸急行電鉄の開業により利用客数が減少していたものの、津喜市の求心力が高まったことや、沿線開発が今まで以上に進んだことから、今では幹線の一部となりました。
路線自体は、2019年3月16日ダイヤ改正によって睦井駅が起点となりましたが、それ以前と同じくほぼすべての電車が津喜駅まで直通しています。
未来を見据えた構想もあり、1970年代から計画されてきた中堀駅から富津岬方面への延伸や、富津岬から海を渡って寺浜県横渚市までを結ぶ構想もあります。どちらも費用対効果の問題で具体的な計画には至っていないものの、もし実現すれば永京湾沿いを環状運転する電車が走るようになるかもしれません。
現実的な話題としては、沿線の高齢化が問題となっています。北萩市内は車で通勤する人が多いことから、車を前提とした開発が行われており、地域によっては車がないと不便に感じるところもあります。また、駅からやや離れた住宅地と駅までの公共交通がないところもあり、免許を返納した高齢者などのために新しい交通システムの試験も行われています。
また、人口を増やすための取り組みとして2022年度から「Colorful Eye作戦」と呼ばれる試みが行われており、人と人との出会いの場となるイベントを実施したり、様々なマイノリティへの差別や偏見をなくすための掲示を行ったりしています。
ちなみに、「Colorful Eye」というのは、結急グループのコーポレートメッセージなんだとか。
日中の運行本数
・急行(椿森駅-鹿居駅-中堀駅) 毎時2本(30分間隔)
・各駅停車(津喜駅-北萩駅(2本)-中堀駅(4本) 毎時6本(10分間隔)
当ページ最終更新日 2025年01月01日