NR田野倉・鏑木線

概要

 田野倉線(たのくらせん)は、月野県月野市の月野駅(つきのえき)と、吉信市の吉信駅(よしのぶえき)までを結ぶ路線です。鏑木線(かぶらぎせん)は、風杜府近藤市の近藤駅(こんどうえき)から、田野倉線の途中駅である田野倉駅(たのくらえき)までを結ぶ路線です。どちらもNR富原(富原旅客鉄道)が運行しており、月野県東部エリアの基幹交通機関となっています。

 月野方面(田野倉線)、風杜方面(鏑木線)方面のどちらにも特急列車が走っており、沿線の発展と交流を支えています。

 両路線とも「田野倉鉄道」により1903年から1915年までの間に建設されました。1975年には鏑木線、1979年には田野倉線全線が電化されています。


沿線概況

田野倉線月野-田野倉間

 月野駅は、瀬津本線北原線と月野市電に接続している駅です。かつてはこの駅で瀬津本線の列車がスイッチバックしていたため、その名残で駅の北側には大きな車両基地があります。当路線の車両もこの車両基地を拠点として運行されています。

 月野駅を出ると、月野市近郊の住宅地の中を走っていきます。沿線は人口密集地帯であるため、途中の鎌数田井中駅(かまかずたいなかえき)までは普通列車が毎時4本運行されています。また、月野と吉信を結ぶ特急も毎時1本程度が運行されています。

 普通列車の車両は、旧型の1314系が主に使われているようです。電化時から使われている車両ですが、2023年度より新型車両への置き換えが進められており、2030年までには姿を消す予定となっています。主に3両編成で運行されていますが、ラッシュ時を中心に6両編成の電車も運行されています。

 手屋駅を出ると、車窓がだんだんのどかになっていきます。川が流れている側には住宅が密集していますが、山側は線路ギリギリまで山が迫っていることもあり、森が広がっています。鎌数田井中駅からは険しい山間の区間に入ることもあって、普通列車の本数が毎時1本から2本程度に減ります。

 鎌数田井中駅から真間駅までの区間は、線内で特に険しい区間となっています。かつてはスイッチバックが数カ所に設けられていましたが、1979年の電化時に一部が新線に移設されたことで廃止されました。

 田野倉駅からは平坦な区間を走ります。田野倉駅-吉信駅間は、特急毎時2本(月野行きと風杜行きが交互に運行)、普通毎時2本が運行されています。

 終点の吉信駅では北光本線に接続しています。朝夕には数本、北光本線の雲浜駅まで乗り入れる列車が運行されています。

鏑木線近藤-田野倉

 起点の近藤駅では、瀬津本線に接続しています。2023年3月までは、特急がこの瀬津本線に乗り入れて風杜へと向かっていましたが、風北線経由に変更されたため、現在は直通列車が走っていません。近藤駅を出ると、すぐに北方向へのカーブを曲がり、鏑木方面へ進んでいきます。

 当路線は駅間距離が長いです。開通時から駅の増設がほとんど行われていない(1968年に南岡部駅が増設されただけ)のが理由となっています。新駅を設置する構想もありますが、当路線に並行する国道84号線には多くの路線バスが走っており、バス会社からの反発もあって実現には至っていません。沿線を走るバスは、近藤市及び鏑木町内では富原バス(旧富原電鉄自動車部)、田野倉市内では吉見鉄道により運行されています。

 鏑木駅では風北線と接続しています。風北線は風杜都市圏に計画されている「高速通勤路線」の1つであり、設計最高速度160km/hの高規格で計画されています。近藤から来た電車は鏑木駅で折り返し、鏑木から先は風北線から来た特急(風杜-吉信)毎時1本と、地下鉄直通の各駅停車(田野倉発着)毎時1本が走ります。

 鏑木は山間にある町で、主要産業は農業となっています。標高が高い場所にあることから、避暑地としても開発が進められてきました。

 田野倉駅では田野倉線に接続しています。

歴史

2024年3月ダイヤ改正

 2024年3月には、普通列車を中心に減便が行われます。田野倉線普通列車は、月野駅-鎌数田井中駅間で毎時3本、鎌数田井中駅-吉信駅間で毎時1本の運行となり、車両は1358系3両(ラッシュ時の一部は6両)に変更されます。

 鏑木線普通列車は、近藤駅-吉信駅間で毎時1本の運行となり、鏑木-田野倉間で運行されていた風北線各駅停車は朝と夕方のみの運行となります。

 特急は運行本数が維持されます。

1970年代後半 ~電化直後~

 1975年には鏑木線全線、1979年には田野倉線全線が電化されました。

 鏑木線が電化された1975年10月時点では、風杜-田野倉間の客車特急が毎時1本、近藤-田野倉間の電車(1312系4連)が毎時1本運行されていました。田野倉駅では、風杜からの特急と月野から来た急行が接続・待ち合わせをしていました。風杜-田野倉間ではスピードアップが実現したものの、吉信へは田野倉での乗り換えが必要となり、乗客には不評だったようです。

 1979年の田野倉線電化時には、風杜-田野倉間の特急が吉信まで延伸されたほか、月野-吉信間で運行されていた急行が特急に格上げされました。どちらも客車列車から電車特急に置き換えられました。また、普通列車は鏑木線近藤駅-鏑木駅間と月野駅-鎌数田井中駅間で毎時2本に増発されたほか、鏑木線電車の大半が吉信駅まで乗り入れるようになりました。

1970年前代 ~電化直前~

 電化前は、すべての旅客列車が客車列車となっていました。田野倉線では急行(田野倉-吉信間)が毎時1本、普通(田野倉-吉信間)が毎時1本の運行。鏑木線では急行(風杜-近藤-吉信間)が毎時1本、普通(近藤-田野倉間)が毎時1本の運行となっていました。

 編成は急行が6両、普通が4両であることが多かったようです。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年11月26日

当ページ公開開始日 2023年11月26日