南へ向かう寝台列車

 NR今北では、永京都心-神場駅間を結ぶ夜行列車の運行を、1978年に開通した仙先縦貫線(せんさきじゅうかんせん)の開業と同時に開始しました。当時はすでに高速バスなどとの競合により夜行列車の利用客が減少していた時期でしたが、神場方面に関しては永京都心-神場都心間の道路が直結していない(2022年10月にようやく仙豊県と先島県を結ぶ海底トンネルが開通する)ことから、夜間の実質的なライバルが存在しない状況でした。

 そこで、1972年の両武快速線開業以降は持て余し気味だった両武本線両国駅を起点とし、鳥豊本線の神場駅(かみばえき)を経由し、鳥豊地方最南端の尾崎駅へ向かう列車と、途中の奉旗駅から西豊本線で神場駅へ向かう寝台特急列車が新たに新設されました。

 車両は大阪方面への寝台特急と同等の車両が使用され、1人用個室A寝台車も連結されました。食堂車も連結されましたが、当時は新しい在来線用食堂車を新製しない方針だったことから、大半の列車で食堂車は途中駅折り返しとなっていました。

 客車は14両が連結されており、1号車から8号車までは鳥豊本線神場駅経由の富崎行き、後ろの9号車から14号車は奉旗駅で切り離しを行い、西豊本線経由で神場駅に向かう列車でした。

次世代寝台車両

 1987年の民営化後はNR今北により運行されることとなった永京-神場間の寝台特急でしたが、陳腐化した設備のグレードアップをしてほしいという要望が多く、この声に応えるために1989年に3両の新型客車が製造されました。この客車の設計を踏まえて1992年に「Regulus(レグルス)」という14両編成の客車が登場しました。

 「レグルス」は待望の新型客車として、それまでの客車のイメージを覆す白を貴重としたデザインが採用されたほか、機関車も客車と同じ白色に塗装されました。名前の由来は、しし座で最も明るい恒星「レグルス」です。このレグルス客車は非常に好評で、さらなるグレードアップと増発を求める声が多く寄せられました。

 1999年にはレグルスの第三編成と第四編成が「RegulusⅡ」として登場しました。RegulusⅡは、ステンレス製の客車であり初代のレグルスとは異なる外観となっています。この車両が登場する一方で、高速線や飛行機の利用客増加に伴い寝台列車の利用客が減少していたことから、一般客車の減車なども進められました。

富原へ

 1993年、鳥豊地方の最南端である魚住県尾崎市と、富原地方の玄関口として多くのフェリーが発着していた西倉県西倉市の間に在来線海底トンネルが開業し、永京駅と富原地方が一つのレールで結ばれました。これを記念して永京駅と富原地方の風杜駅及び上原駅・門出駅を結ぶ列車が新設されることになりました。

 一足先に登場していた新型客車「レグルス」が優先的に富原地方への列車に充当されたほか、本州の寝台列車減便で余剰となっていた客車がかき集められて運行されました。富原地方は終戦後から1968年までアメリカに統治されていたという歴史もあり、この出来事は多くの国民にとって印象に残る出来事でした。

 その後、1996年には北光本線周り稲穂行き、滝沢線周り稲穂行き、風杜経由海上行きの寝台特急も新設されています。

今後

 南へ向かう寝台特急が生き残れたのは、「並行する高速道路が繋がっていない」からであり、途中の仙豊県と先島県を結ぶ高速道路が繋がっていたら、早々に姿を消していたとも言われています。2022年10月1日(土)には、その仙豊県と先島県を結ぶ海底高速道路トンネルと、鳥豊地方の尾崎と富原地方の西倉を結ぶ海底高速道路トンネルが同時に開通する予定です。この2つのトンネルが開通すると、本州と鳥豊地方、富原地方の道路がすべて繋がることから、多くの高速バスが運行される予定となっています。

 NR今北は社会状況の変化による利用客の減少により経営難となっており、今では数少ない客車列車となった寝台特急を残す意味が無くなるとも言われています。レグルス客車の第一編成と第二編成をはじめとした大半の客車が老朽化していることもあり、2023年3月18日ダイヤ改正では、富原地方まで行かない寝台特急が全廃されます。

 富原地方まで向かう寝台特急も、2023年3月に鳥豊富原自動車道により鳥豊地方と富原地方が結ばれると、夜行バスとの競争に対抗できないことが予想されます。夜行バスは寝台特急に比べて安く、本州から寝台特急がほとんど消えてしまった原因の一つとされています。

 長い間多くの人々の憧れだった「南へ向かう寝台特急」も、もはや風前の灯になろうとしています。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年03月19日

当ページ公開開始日 2022年05月19日