多田鉄道

概要

 多田鉄道(ただてつどう)は、津喜県の渡辺駅(わたなべえき)及び遠山原県の滝浜駅(たきはまえき)と、坂元駅(さかもとえき)の間を2つの路線で結んでいるローカル私鉄です。沿線には朱祢川(あかねがわ)と清川という、二つの川が流れており、この川を使って運んでいた木材の運搬や、沿岸部の鮮魚輸送のために建設されました。

 2つある路線のうち、渡辺駅から坂元駅までの路線は「本線」、途中の笠上駅(かさがみえき)から滝浜駅までの路線は「石田線」として区分されています。

 車両は1960年代から活躍する自社発注車のほか、中古の古い車両も多数活躍しており「動く博物館」とも言われています。レトロな電車が30分から1時間ぐらいの間隔でゆっくり走って行きます。


沿線概況

本線(渡辺駅-坂元駅)

 起点の渡辺駅(わたなべえき)は、津喜県最東端の渡辺市中心部にある駅です。NR両武本線の隣に2面3線の小さな頭端式ホームがあり、ここから発車していきます。なお、貨物列車が運行されていた頃の名残として、両武本線に繋がる連絡線があります。現在はめったに使われませんが、中古車を搬入するときに使われることがあるようです。

 渡辺駅を出ると、新部駅(にいべえき)付近まで海岸沿いを走ります。渡辺市内には大きな漁港があり、対岸の桃志漁港と同じく全国屈指の水揚げ量を誇ります。川向こうの似たような町ということで、渡辺市民と桃志市民の間にはライバル意識があるようですが、近くて往き来しやすいことから市民同士の交流はかなり盛んなようです。多田鉄道も、対岸を走る津久茂電鉄とコラボ乗車券で協力しあっています。

 新部駅の近くには埋め立て地があります。この埋め立て地には工場が建設される予定だったのですが、環境保全の問題により地域住民と対立。結局は工場用地を住宅用地に転用し、団地や学校、商業施設が建設されました。このため、1970年代後半から1980年代後半頃にかけて人口が増加。1993年には一部の特急も停車するようになり、永京都心まで特急で通勤する人の姿もちらほら見られます。

 さて、新部駅から渡辺駅までですが、早いのはNR両武本線です。しかし、距離が短く運賃が安いのは多田鉄道であることから、1990年から渡辺駅-新部駅-境宿駅間で区間電車の運行が開始されました。それまで30分前後の運行間隔だったのを、この区間に限り15分前後の運行間隔に変更しています。

 区間電車の終点である境宿駅(さかいやどえき)は、かつての下得国(しもとくのくに)と牧原国(まきはらのくに)の境目(現在県境になっている赤根川が境目でした)に近い宿場町であることが由来です。しょうゆ工場があり、津喜県内で同じくしょうゆ工場のある昇田(しょうだ)、桃志と同じく産地として知られています。

 この付近にある宿では、漁港から直送された新鮮なお魚と地元産の醤油、そして朱祢川沿いで育てられたお米を使った料理が提供されており、地産地消が実現しています。昔から多くの人々が休んだ歴史ある町ですが、NR両武本線はこの町を通らず、南の清水(しみず)や小畑(おばた)地区を通るルートで敷設されました。これは当時の村人が「宿場町なのに通過地点となってしまう」「蒸気機関車の煙が醤油の質を下げるのではないか」と考えており、鉄道敷設反対運動を行ったからだとされています。

 しかし、当時はトラックなんてものは走っておらず、当路線が開業すると当駅から渡辺駅経由で永京方面へ向かう、醤油運搬列車が運行されるようになりました。かつては醤油に加えて、朱祢川沿いの砂利や木材なども運んでおり、貨物列車が頻繁に運行されている路線としても知られていたようです。

 また、当駅には隣接して車両基地があります。多田鉄道に所属するすべての車両の検査を行っているほか、使われなくなった車両が何両か留置されています。留置線は留置されている車両の数の割に広いですが、これは貨物列車が運行されていたころの名残です。貨物列車黄金期には、広い留置線を埋め尽くすほどの貨車が止っていたのだとか。

 境宿駅を出ると、朱祢川沿いの水田地帯を走って行きます。川の方には水田が広がりますが、一方で進行方向左側、山側を見ると近くまで丘陵地帯が迫っています。朝にこの付近で写真を撮ると、朝日と電車を綺麗に撮れるということで撮り鉄に人気のスポットにもなっています。

 多田駅(ただえき)は、水田地帯の中心となる町です。下得国側(津喜県側)の農家のほとんどは、この多田地区に親戚がいるようです。対岸の遠山原県柴崎町も「親戚だらけ」ということで、お見合いは渡辺や窪田、笠上あたりの人と行うのが慣例となっているようです。

 だんだん川の上流へと進んでいくと、平地がだんだん狭くなって山が迫ってきます。長谷駅(はせえき)からは上り勾配の区間が続くようになり、古い電車がモーターを唸らせて登っていきます。

 恩方駅(おがたえき)まで来るとすっかり山の中。水田も僅かにありますが、それよりも木々が生い茂っています。かつてはこのあたりで木を切り出して、資材として運び出していました。

 恩方駅を出ると、程なくして朱祢川を渡って山の中へ進んでいきます。きつい急勾配が続く区間であることから、車両によっては進入禁止となっていたり、機関車など他の車両をつながないと入線できないことになっていたりしたようです。

 笠上駅(さかがみえき)で滝浜駅からの石田線と合流すると、再び朱祢川を渡って今度は坂を下っていきます。終点の坂本駅(さかもとえき)は、山間の地域で一番大きな町です。国道とNR昇山線も通っていることから交通の便は良く、「山間の玄関口」として観光客・登山客を迎えてきました。

 かつてはここから昇山線に入り、昇山駅(近くに昇山温泉がある)に直通する列車も運行されていたようですが、1965年を最後に乗り入れなくなってしまいました。

石田線(笠上駅-滝浜駅)

 石田線(いしだせん)は、多田鉄道第二の路線として1928年から1933年にかけて敷設された路線です。柴崎町と石田市の境目となっている清川(きよかわ)沿いに敷設されており、遠山原県南部では最も大きな石田市の市街地を通って滝浜駅(たきはまえき)までを結びます。

 笠上駅で本線と分岐すると、山道を下りつつ清川を渡ります。椎柴駅(しいしばえき)まで来たら水田地帯の中を走るようになりますが、古見駅(こみえき)付近から線路沿いの住宅が増えていき、石田駅に近いところではすっかり路地裏を走るようになります。

 石田駅はNR両武本線と接続する駅で、ホームはごく普通の1面2線島式となっていますが、両武本線を越えるために駅を出たら盛土を登っていきます。越えたらまた地上に降りて、街道と交差すると、海沿いを終点の滝浜駅へと向かって走っていきます。かつては海水浴客で賑わっていたようですが、今はマイカーで行く人が大半であることや、レジャーの多様化により当路線は使われなくなりました。

 石田駅から滝浜駅までの区間は、国道と並行しておりバスも運行されていることや、沿線人口がそれほど多くないことから赤字区間となっています。実際、2008年頃には廃線が検討されていたようですが、当路線を観光資源として考えている市長が当選すると、存続のための取り組みが行われるようになりました。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2022年09月08日

当ページ公開開始日 2022年01月03日