富原本線

概要

 富原本線(とみはらほんせん)は、西倉県西倉市の本牧駅(ほんもくえき)から、上原県門出市の門出駅(かどでえき)までを結ぶ、NR富原(富原旅客鉄道)の鉄道路線です。

 富原地方で最初に建設された鉄道路線であり、1892年に本牧駅-風杜駅間が開通しました。その後は南進を続け、富原地方最南端の門出まで線路が延びました。1970年代ごろまでの富原地方は、炭鉱が至る所に存在していたことから、石炭輸送が盛んに行われていたほか、沿線の開拓も進められ「夢の大地」として本州からはるばる富原へ移り住んだ人も多かったようです。

 戦後はアメリカにより統治され、鉄道の運営は富原政府直轄の富原鉄道公社により運営されました。日本式の管理が継続された一方で、アメリカ製のステンレス車両や駆動装置が導入されるなど、本土とは明らかに異なる設計の車両が導入されました。


路線データ

・軌間:1067mm(狭軌)

・最高速度:130km/h

・保安装置:ATS-P

・複々線区間:西倉駅-小堀駅

・複線区間:本牧駅-西倉駅 小堀駅-門出駅

・電化区間:全線(直流1500V)

運行形態

本牧・西倉駅-小堀駅間

 この区間は西倉市と風杜市の2大都市を結ぶ区間であり、富原地方有数の運行本数と利用客数となっています。また、西倉駅から小堀駅までの間は緩行線(かんこうせん)と急行線(きゅうこうせん)として方向別複々線化されています。かつての急行線には石炭や石油などを輸送する貨物列車や、風杜などの各方面へ向かう客車列車などがひっきりなしに走っていましたが、石炭輸送が消滅したことや、1991年に富原高速線(西倉駅-貝原駅間)が開通したことにより、以降はこの線路を走る特別快速列車が増発されていきました。

 2022年3月ダイヤ変更時点での昼間の運行本数は、

・本牧駅-小堀駅間の特別快速(12両または10両)が毎時4本(15分間隔)

・西倉駅-小菅駅間の滝沢線直通快速(8両または12両)が毎時4本(15分間隔)

・海洋山岳開発鉄道春原駅-小堀駅方面の快速(8両)が毎時4本

・西倉駅-小堀駅間の各駅停車(8両)が毎時6本(10分間隔)となっています。

 各駅停車は富原山田駅-高砂駅間の区間電車もあり、この区間では毎時12本(5分間隔)で運行されています。

特別快速と一部の快速列車は、3ドア転換クロスシートの車両で運行されます。

各駅停車と一部の快速は4ドアロングシートの通勤型車両で運行されます。

小堀駅-門出駅

 日中の運行本数は、途中の上原駅までが毎時4本となっており、このうち2本が特別快速、もう2本が快速でこれが風杜方面へ直通します。

 上原駅から門出駅まで向かう列車は毎時2本で、うち1本が特別快速(この区間は各駅に停車)、もう1本が各駅停車です。

沿線概況

本牧駅-西倉駅

 起点の本牧駅(ほんもくえき)は、富原地方の鉄道発祥の地です。というのは、この本牧駅のすぐそばには港があり、かつてはこの港で船へと乗客や貨物を載せ替えていたからで、その船は鳥豊地方や本州(永京や神戸など)へと向かっていきました。まさに富原地方の玄関口として機能していた駅で、3面6線と留置線を備えた広大な構内と、立派な駅舎があります。しかし、人気はまばらです。

 本牧駅の隣の隣、新本牧駅(しんほんもくえき)は、1993年に開業した鳥豊富原在来線トンネル(海底トンネル)へと続く線路が分岐する駅です。船で本州と富原地方が結ばれていた時代は終わり、貨物輸送は在来線の海底トンネル、そして旅客輸送の主流は1997年に完成した鳥豊富原高速線トンネルに移行しました。

西倉駅-風杜駅

 西倉駅(にしくらえき)は、北光本線(ほくこうほんせん)や私鉄線と接続する大きな駅です。この西倉駅のある西倉市は、人口97万人ほど(現実世界に例えると千葉市や北九州市に近い人口)の大都市であり、西倉県の県庁所在地でもあります。ここから南へ進んだ小菅駅(こすげえき)までは、滝沢線(たきざわせん)からの直通列車も乗り入れており、西倉を中心とした通勤・通学輸送を担っています。

 私鉄との競合があるのもこの区間の特徴です。西倉から途中の生田目駅(なまためえき)までは西倉電鉄、西倉から風杜までは富原電鉄と競合する区間であり、また富原地方で初めての鉄道路線であるという歴史的経緯から、古くから最新鋭の車両が投入されやすい区間でもありました。

 私鉄との競合対策として1988年から運行を開始した「特別快速(特快)」は、それまで通勤型車両(4ドアロングシート)や近郊型車両(3ドアセミクロスシート)、客車列車など雑多な車両で運行されていた快速よりも停車駅を減らし、最高速度もそれまでの110km/hから120km/h(後に130km/hにUP)するなど対抗意識を燃やした列車となりましたが、これが好評で現在は滝沢線直通を除くほとんどの快速が特別快速に置き換えられました。

1988年の特別快速運行開始時に導入された1350系は、NR富原で初めての独自設計車両です。

 西倉への通勤・通学需要は途中の追川駅(おいかわえき)までが大半で、追川を境に風杜都市圏への通勤・通学需要の方が多くなっていきます。この追川から富原山田までの区間は山岳区間で、SLが活躍していた時代は重連運転を行うなど難所として知られてきました。現在は性能のよい電車で運行されていることや、直線的な線形に改良されたことから、スムーズに列車が走っていきます。

 富原山田駅(とみはらやまだえき)からは各駅停車の運行間隔が10分間隔から5分間隔に倍増し、沿線の住宅・マンションの数が増えていきます。また、この駅では風杜都市圏東部の山岳地帯へと続く「海洋山岳開発鉄道」の後藤本線と接続しています。この鉄道はかつて石炭の輸送で賑わった鉄道ですが、石炭輸送が終了した後は石灰岩輸送、山岳部にあるダムへの物資輸送などの貨物列車が多数運行されています。また、貨物列車の影に隠れがちですが旅客列車も運行されており、この富原本線に乗り入れる列車も設定されています。

 途中の鴨池駅(かもいけえき)では風杜電鉄の離れ小島である検見川線(けみがわせん)と接続しつつ、進行方向右手に富原高速線の高架線が見えてくると、いよいよ風杜都心へと入っていきます。

 大坪駅(おおつぼえき)では風杜環状線と合流。ここからは進行方向右側から緩行線、急行線、そして風杜環状線というように3複線となり、線路沿いには多数のビルが建ち並ぶようになります。そしてこの状態のまま富原地方を代表する駅である風杜駅(かぜもりえき)に到着します。

風杜駅-小堀駅

 風杜駅の内陸側駅舎は、永京駅に似た赤煉瓦作りの駅舎となっています。まだ飛行機が飛んでいなかった頃は、船と列車を乗り継いでやってきた乗客を、この駅舎がお出迎えしていました。ホームは増築が繰り返され、富原本線に加えて風杜環状線、瀬津本線、海上線そして高速線(富原高速線、瀬津高速線、稲穂高速線)が乗り入れるようになっています。私鉄、地下鉄の駅もあって、駅前は富原地方で一番の繁華街となっています。

 ビルの谷間の複々線を、南へと向かう列車。五香駅(ごこうえき)までは風杜環状線、宇宿駅(うやどえき)までは海上線の電車が併走します。特に風杜駅-五香駅間は複線が4本も並んでいることから、迫力のある車窓が楽しめます。


 宇宿駅で海上線と別れると、かつての海岸線に近い場所をスムーズに走ります。海側は遠浅で潮干狩りの名所だったようですが、1960年代から1980年代にかけて埋め立てが行われ、現在は団地と工場になってしまいました。埋め立て前は、風光明媚な風杜湾の景色が旅人を喜ばせていたようです。

 さて、風杜駅から貝原駅までの区間は、二つの都市間を結ぶことから利用客数・本数ともに多い区間です。ライバル路線の「風杜電鉄貝原本線」もあり、対抗するために早い段階で電車の高速運転が行われてきました。また線路は方向別複々線として、緩行線と急行線に分離されています。

 急行線のホームがあるのは、風杜駅-宇宿駅間と、塩田、高砂、根元、富原和田、本間、坪倉、貝原となっています。いずれも汽車が走っていた頃からある駅ですが、逆に急行線ホームがない駅は電車が走るようになってから作られた駅とも言えます。

 途中駅で特に利用客が多いのは、高砂駅(たかさごえき)です。風杜電鉄高砂線がやってくるほか、住宅地や沿岸部にある射水興産の工場・研究所への通勤・通学需要が多いようです。

 急行線を走る快速列車は、かつての長距離汽車の流れを受け継ぐ列車です。1980年代中頃(富原地方の国鉄が民営化された頃)から、この区間では客車列車の電車化が進められてきました。かつては「停車駅が少ないのに遅い」「本数が少なくて不便」と言われる有様でしたが、増発とスピードアップ(時速130km/h)を行って、今ではライバルの風杜電鉄貝原本線を脅かす存在となりました。

 その貝原本線ですが、本間駅(ほんまえき)で接続します。上原方面へ向かう国道沿いにあるこの駅周辺は、かつて海水浴場と別荘地があって大いに賑わっていました。現在は住宅地として開発が進められ、昔からの景色はほとんど残っていません。

 当路線の複々線化が開始されたのは、1965年のことでした。当時は「これからは鉄道が廃れ、みんな自動車を使うようになる」と考えられていましたが、列車の混雑は日に日に悪化していました。この混雑に対応するための対策として複々線化を行うこととなり、各駅停車専用の「緩行線」が新設されました。

 緩行線電車は、富原政府(当時)の方針により富原重工業などがアメリカの技術を用いて製造したステンレスカーとなりました。当時はまだ開発の進んでいない地域が多く、田畑の真ん中を銀色のステンレスカーが走る光景に、新時代の到来を感じた沿線住民も少なくないようです。

 複々線区間が終わる貝原駅(かいばらえき)は、貝原県の県庁所在地である貝原市の玄関口です。ここから先は上原方面に加えて、行川線が分岐していきます。

貝原駅-門出駅

 この区間はそれまでの区間と異なり、「大都市連絡」よりも「地域輸送」の割合が高い区間です。列車がひっきりなしに運行されている区間に対して、こちらはのんびりとした雰囲気の区間。また、富原地方で最も南の地域ということで、リゾート地としての人気も高いです。

 終点の門出駅(かどでえき)は、最南端の駅であることや、「門出」という駅名の縁起のよさから乗り鉄たちの憧れの駅です。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2023年12月22日

当ページ公開開始日 2022年05月15日