T10系

現 両得電鉄70系300番台

概要

 1979年、津喜急行電鉄(当時)の開業と同時にデビューした車両です。両得電鉄(当時)の70系をベースに設計されていますが、車体は当初よりステンレス製とされました。当時としては珍しい角形ライトと、シルバーの車体に白い帯を巻いた姿は「近未来的」と評され、下得台地(しもとくだいち)を新たに駆け抜ける鉄道に相応しいスタイルでした。

 津喜急行電鉄鉄は白いラインカラーを「何色にも染まっていない、新たな街をイメージしたデザインです」としているが、実際は違うという。津喜鉄道歴史館の館長を務め、かつて両得電鉄や津喜急行電鉄で運転士をしていた金沢隆司は、あるイベントでこう語っていた。

 

「実はね、津喜急行の白い帯あるでしょ。あれね、メーカーの担当者が『とりあえず白色ですけど、帯の色何色にしますかね??』って聞いてきたんです。それで、T10系の開発スケジュールは余裕が無かったんで、帯の色を考える時間が無かったらしいんです。それで『白帯でいいよ』と答えたんですって。ただデザインの理由がそれではお粗末だというので、みなさんが知る理由が後付けで加えられたのです」

 

 知らぬが仏である。しかし、鉄道好き以外に果たして電車の色の由来を知ろうとする人はいるのだろうか??

 

フレキシブル・トレイン

 T10系には愛称があった。その名は……

 

 「フレキシブル・トレイン」

 

 単語の間に「・」が入っていることに時代を感じるが、1978年から1980年代の中頃まで使われていたという。しかし、一部のパンフレットなどで使われただけで、沿線住民どころか鉄道好きにすら知られていない「幻の愛称」として、SNSなどでよくネタにされる。

 1978年の開業時駅に貼られていたポスター『フレキシブル・トレイン』には、以下の説明が書かれている。

 

 「フレキシブル・トレイン、T10系。朝は電車を長くして混雑に対応。昼は短くして節電。このように利用状況に合わせて柔軟に対応できる電車が「フレキシブル・トレイン」T10系なのです」

 

 津喜急行電鉄は開業時沿線の開発が進んでおらず、また朝と昼では利用客数に大きな差があった。そこで上記の説明通り、利用状況に合わせて電車の長さを調整していた。

 「フレキシブル・トレイン」という言葉で、いかにも先進的な取り組みであるかのように紹介しているが、利用状況などに応じて長さを変える運行はほかの鉄道でも行われている。

 1978年当時のダイヤでは、ラッシュ時に8両または4両。日中は全列車4両で運行されていた。ラッシュ時に4両編成の電車が存在していたことは2017年現在津喜急線では考えられないことになっているが、当時は日常光景だった。

 その後、1980年に6両編成が登場。同じ年には4両編成と6両編成を連結して10両編成で走る電車もデビューした。

 無駄な物をなくしたT10系がお目見えしたのは2003年秋。今までと変わらない姿なのに、音は最新型と同じという変わった電車は、2008年までに津喜急行電鉄の主力となった。苦情は減ったが、一方である噂が広がっていた。

 

 「車体が継ぎ接ぎしてあるところがあるよ」

 

 おそらく、この噂はこの部分を見た人によって広められたに違いない。

  T10系中間車化改造車。この車両は乗務員室があった車両を改造し、車内全てを客室にした車両だ。乗務員室があった場所が目立っている。しかし、なぜ他の部分と同様に凸凹させなかったんだろうか。

 

 答え。節約のため。

 

 昔のステンレス車は車体の歪みが目立たないように側面を凸凹させていた。しかし、近年製造された車両は技術の進歩と費用削減のため、凸凹が少なく、あってもわずかな凸凹になって見栄えが良くなった。この車両の改造を担当した津喜重工業(当時)は、費用削減、改造期間短縮を目的に改造部分の外板を新型車両のようにした。おかげでこの状態である。

 しかし、強度や安全性は問題ないことや、そもそも違和感を気にするのは鉄道好きぐらいであることから、苦情が来たことはほぼないという。

必要な物は取り入れよう!!

 無駄なものがあれば必要な物もある。2009年に富街空港への延伸を控えていた津喜急行電鉄では、今電車がどこにいるのかを確認しやすくするためにLCDをドア上に取り付けることにした。LCD取り付け対象車両にはT10系が選ばれ、2003年に更新された車両にはすでに取り付けられていた。当時は両得電鉄にすらLCD搭載車両が在籍しておらず、かなり早い段階でLCDを搭載することにした点は高く評価できる。

 更新工事の際、一部の走行機器類も更新された。従来界磁チョッパ制御だった走行機器は、10系0番台と同様のIGBT素子VVVFインバータに変更されている。まだ従来の走行機器類も使えたが、2009年の富街空港延伸の時に最高速度を120km/hに引き上げることが決まっており、従来の走行機器類では対応できなかった。そこで、当時製造が続いていた両得10系の部品を用いて最高速度を引き上げたのである。

 ちなみに、VVVF化の際MT比は6M4Tから5M5Tになっている。VVVF化されたこともあり、従来よりも軽快に走るそうだ。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2022年01月15日

当ページ公開開始日 2017年08月14日