NR富原の客車列車

概要

 NR富原(富原旅客鉄道)では、1985年(富原地方の鉄道民営化)から2018年3月まで定期客車列車を運行していました。他の地方に比べて客車列車の廃止が遅かったのは、2010年まで旅客と貨物が富原地方のみ一体的に運行されていたことや、組合の反発などがあったからだとされています。

1980年代後半から1990年代

 この頃は、民営化以前の名残もあり長距離を走る列車の多くが客車列車でした。特急や風杜・西倉近郊の普通列車こそ電車またはディーゼルカーで運行されていましたが、組合の反発や当時は貨物列車と旅客列車を一体的に運行していたこともあり、機関車を使う客車列車が主流となっていました。

 富原本線では西倉駅から門出駅を走破する特急と、風杜駅から門出間の一部の普通列車が客車列車でした。

 瀬津本線では風杜駅-瀬津駅間の普通列車が客車列車でした。一方で特急列車はすべて電車化されていました。

 当時はまだアメリカ製のディーゼル機関車が残っており、客車もステンレス製の車両が在籍(本土返還前に製造)していました。それらが紺色や赤色の鋼鉄製客車と連結しており、混沌とした編成が楽しめたようです。

 1990年代に入ると富原本線・瀬津本線の客車列車を全廃する方針となりました。これは風杜都心部のスピードアップを目的としたものでしたが、組合の反発もあり毎時1本程度の客車普通列車が残されました。また、塩見エリアや上原エリアなどの普通列車には新型ディーゼルカーや電車が導入され、「普通列車=客車列車」という富原ではおなじみだった光景が減っていくことになりました。

2000年代

 2000年代に入ると、客車列車の数がだいぶ減っていきました。アメリカ製のディーゼル機関車が引退したり、電化が進んだりして、ローカル線でも本州と同じく電車やディーゼルカーが主力となりました。

 一方で一部の組合の反発が強く、富原本線と瀬津本線、海上線では風杜エリアでも毎時1本程度の客車列車が残ることとなりました。

 編成は風杜エリアの場合、機関車が紺とクリーム色の電気機関車、客車は鋼鉄製客車というパターンが多かったようです。また、ステンレス製客車も僅かながら残っていました。

2010年代

 2010年4月に貨物部門が分離され、旅客列車と貨物列車は別々に運行されるようになりました。また、客車列車の廃止に反発していた組合が衰退してきて、2011年3月のダイヤ改正ではついに富原本線の客車列車が廃止されました。瀬津本線も2013年1月のダイヤ改正で客車列車が廃止され、残るは海上線、南東本線経由の風杜駅-光(みつ)駅・神崎駅間の普通列車だけとなりました。この普通列車は1時間に1本ほどが運行され、編成は機関車1両と客車8両でした。

廃止へ

 2018年3月のダイヤ改正で、最後まで残っていた風杜駅-光・神崎駅間の客車普通列車も廃止されました。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年06月10日

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