NR京口線

概要

 京口線(きょうぐちせん)は、月野県久保市の久保駅(くぼえき)から、平磯県平磯市の平磯駅(ひらいそえき)までを結ぶ、NR富原(富原旅客鉄道)の鉄道路線です。平磯県北部の沿岸部をぐるっと一周するように走る鉄道路線ですが、高速道路の発達により利用客が低迷している区間もあります。

 全線を通して走る列車はなく、途中の清水駅(しみずえき)を中心に運行系統が分断されています。清水駅と路線名にもなっている京口駅付近には、港へ向かう支線が伸びています。

 1905年に「京口鉄道」として京口駅-平磯駅間が開通後、1915年には久保駅-京口駅間も開通し、現在の路線網ができあがりました。

沿線概況

久保-那波

 起点の久保駅は、月野県西部エリアでは大きな町であり、瀬津高速線も通っています。当路線のホームは瀬津本線の隣にあり、途中の永定駅まではディーゼルカーと電車が交互に30分前後の間隔で走っています。また、京口駅行きのディーゼル特急も運行されており、こちらは1時間に1本ほどが運行されています。

 特急は主に2両で、久保を出ると永定、行内橋本、那波、片貝、脇田、薬師寺、貴船、清水、京口に止まります。

 久保駅を出ると程なくして瀬津本線と分岐し、平磯県南部の沿岸地域に向かって走って行きます。最高速度は普通列車100km/h、特急列車120km/hで、私鉄の久保電鉄と接続する永定駅(えいていえき)までは、車窓からちらほらと住宅地が見えます。


 永定駅は2面3線の駅で、海側に久保電鉄の頭端式ホーム(2面3線)が隣接しています。かつては久保電鉄へ直通する貨物列車や臨時列車が運行されており、その際使用されていた側線の跡が少し残っています。「永定」という地名は、この地をかつて治めていた大名の名前に由来しており、次の勝善寺駅(しょうぜんじえき)近くにはお城の跡もあります。

 電車は朝夕を除き永定駅で折り返します。電化区間はこの先の那波駅まで続いていますが、昼間はディーゼルカーしか走らないため、その設備を持て余しているようです。この電化設備が生きるのは朝と夕方で、月野駅発着の電車が6両編成で那波駅まで走ります。

 平瀬駅(ひらせえき)は海岸の隣にある駅で、富原地方でも有数の眺めのよい駅として知られています。特急は大半が通過しますが、朝と夕方の数本だけこの駅に止まります。駅の近くには高校があり、本数の少ない普通列車では間に合わない学生が利用しているようです。

 近くを走る高速道路(京口自動車道)を脇目に、行内市内の平野を快走します。市の中心駅は、市役所のある行内橋本駅(ぎょうないはしもとえき)とされており、この駅には特急も停車します。駅の近くには市役所に加え、大きなスーパーもあって行政・商業の中心地といえます。

 電化区間の終わりである那波駅は、月野県北原市へ向かうフェリーが発着する港に隣接しています。かつてはフェリーに鉄道車両を乗せ、北原まで運んでいたこともあったようです。北原市まで陸路で向かおうとする場合、かなり遠回りとなるため、フェリーはとても重宝されているようです。特急列車の到着時刻に合わせたダイヤとなっており、概ね1時間に1本ほどが運航されているようです。

那波-京口

 那波を出ると、非電化区間に入ります。2000年代に京口自動車道の延伸が行われ、高速バスへと旅客が流出してしまったようです。普通列車は1両編成、特急は2両編成で、いずれも1時間に1本ほどが運行されています。本数が少ないため、すれ違い設備が撤去された駅が何駅かあります。ホームは客車列車が運行されていた頃の名残で6両または8両まで対応していますが、いまではだいぶ過剰な設備となっているようです。

 平磯県内に入ると、夏穂湾を横目に引き続き海沿いを走っていきます。片貝駅から江夏駅までの間は、時間帯により毎時1本の区間列車が運行されており、比較的利用者数の多い区間となっているようです。片貝駅から脇田駅までの区間には水田が広がります。この区間の沿線は、平磯県内有数の米所となっています。

 保品駅(ほしなえき)からはなつほ市内を走ります。2006年までは「保品町」「薬師寺町」という二つの町に別れていましたが、合併に伴い湾の名前にちなんだ今の市名となりました。

 阿佐比駅(あさひえき)からは京口市内に入ります。大津駅(香島方面へのフェリーが出ている)よりやってくる支線と清水駅で合流したら、再び電化区間に入ります。清水駅から京口駅までは、毎時各1本の普通列車と特急列車に加えて、大津駅と平磯駅を結ぶ電車も毎時1本走っています。

 路線名の由来となっている京口駅周辺は、平磯県南部で最も人口の多い地域です。大津行きの電車を除いて系統分断されており、ここからは電車のみが走る区間となります。

京口駅-平磯駅

 京口駅の構内からは、近くの京口港へ向かう非電化支線が伸びています。かつては京口港から貨物線が出ており、2008年までは貨物列車が運行されていました。現在は一切列車が走っておらず、2018年に港へ向かう観光列車が試験的に運行されたものの、現在は再び休止状態となってしまっています。

 京口駅からの電車は、大津発着の普通列車が毎時1本(3両編成)、京口発着の特急列車が毎時1本(6両編成)運行されています。特急は京口を出ると錦織(一部のみ)、養老、富浦、樋口、富原千倉、平磯に停車します。

 養老駅からは富浦市に入ります。養老駅は1980年代から1990年代前半にかけてリゾート地として開発が行われ、現在の駅舎は1991年に建て替えられたガラスを多用したものとなっています。駅の近くには大きなホテルが何軒か建っていますが、1990年代後半以降は観光客が激減し、一部は廃墟となってしまっています。

 波方駅と富浦駅は、市内では利用客数の多い駅です。この2駅周辺が最も人口の密集している地域で、駅に隣接してパークアンドライド用の駐車場も設けられています。波方駅からは普通列車の本数が毎時2本となります。

 飯坂駅周辺の坂道が多い区間を通り過ぎると、私鉄の平磯電鉄と接続する富原千倉駅に到着します。富原千倉と平磯の間は、平磯電鉄の優等列車よりも当路線の普通列車の方が速いです。運行本数も毎時2本から毎時4本(15分前後の間隔)に増え、ライバルへの対抗力を高めています。

 平磯駅は西側の1面2線を主に使用しています。駅の南側には大きな車両基地があり、当路線及び平磯本線などで活躍する車両が休んだり整備を受けたりしています。


歴史

1990年代 ~客車列車が走っていたころ~

 1990年代は、まだ京口自動車道が平磯-樋口間しか開通しておらず、平磯県北部の交通は京口線が主役でした。また、特急、普通ともに客車列車がまだまだ多かったのがこの頃の特徴です。

 特急は多くが瀬津本線風杜駅発着でした。当時は瀬津高速線が未開通(風杜駅-平磯駅間の開通は2004年)だったため、瀬津本線には多くの客車特急が運行されていました。風杜駅から久保駅まで走った後、那波駅経由で京口駅へ向かう列車と、平磯駅経由で京口駅へ向かう列車が運行されていました。

 那波駅経由の特急は、列車により風杜駅から同じディーゼル機関車に牽引される列車と、久保駅で電気機関車からディーゼル機関車に付け替える列車がありました。編成は長くて8両、短くて4両でした。

 普通列車はディーゼル機関車牽引の客車列車と、電車がそれぞれ運行されていました。運行本数は現在と同じですが、当時は久保駅から平磯駅までを京口駅経由で結ぶ直通列車が走っていました。編成は4両編成が多かったようです。

 1996年からは普通列車が順次ディーゼルカーによる運行に置き換えられていったほか、特急も2002年に大半がディーゼルカーに置き換えられました。2004年の瀬津高速線風杜-瀬津間開通の際は、風杜駅直通の特急が廃止され、京口線客車列車は全廃されました。


※当ページの内容はフィクションです※

当ページ最終更新日 2023年11月26日

当ページ公開開始日 2023年11月26日