仁江鉄道

概要

 仁江鉄道(じんえてつどう)は、津喜県仁江市内の仁江駅(じんええき)と、金束駅(こづかえき)を結ぶ鉄道路線です。現在は仁江市内の通勤・通学輸送を担う路線ですが、2017年7月1日までは仁江空港(廃港)へのアクセス路線としても機能していました。

 空港があった頃は、NR外郷線及び両得電鉄(当時)への直通電車も運行されていましたが、現在は線内折り返しの普通電車が15分間隔で走るのみとなっています。


車両・運行形態

 すべての電車が仁江駅と金束駅を往復します。本数は朝が10分間隔、日中は15分間隔です。

4000系(2012年登場)

 現在の主力車両で、ステンレス製20m4ドア車体を採用しています。NR・両得各線(当時)にも乗り入れていたことから、N1602系または両得10系100番台ベースのシステムを採用しており、4両編成を2編成連結した8両編成でも運行されていました。また、2015年からは2両編成の導入も開始され、2017年以降は2両での運用も行われています。

3000系(1991年登場)

 1991年に増発を行うために導入された4両編成の車両です。2000系と連結して津喜駅や八田山駅まで運行されたこともありました。

2000系(1973年登場・2017年引退)

 1000系と同じような見た目をしていますが、車体長を伸ばして定員を増やした車両になります。この車両も国鉄・両得各線への直通に対応しており、4両編成または8両編成で津喜駅や八田山駅まで足を伸ばしたことがあります。1979年までに増備が続けられ、長い間主力として活躍しました。

1000系(1972年登場・2012年引退)

 それまで線内で活躍していた旧型車両の置き換えを目的として登場しました。国鉄・両得各線(いずれも当時)への直通運転に対応しており、特徴的な外観デザインもあって話題となりましたが、2012年に引退しました。

2017年7月2日ダイヤ改正以前

 以前の仁江鉄道は、2017年7月1日で廃港となった仁江空港へのアクセス路線として機能しており、NR線・両得電鉄線への直通電車が多数運行されていました。現在も運行されている仁江駅-金束駅間の各駅停車(15分間隔)に加え、NR外郷線に直通する快速(仁江空港駅-仁江駅-両武快速線方面)が毎時1本、同じく外郷線に直通する普通(仁江空港駅-仁江駅-津喜駅)が毎時1本、両得電鉄直通の快速急行(仁江空港駅-仁江駅-永京駅経由雪松線入能駅)が毎時1本、急行(仁江空港駅-仁江駅-八田山駅)毎時1本が運行されていました。

 なお、空港廃港後は仁江空港駅が「長狭駅(ながさえき)」に改称されました。

歴史

仁江空港アクセス鉄道として発展

 仁江空港は1961年から本格的に旅客機の発着が増えました。永京都心部からはかなり距離があるものの、永京空港の発着枠の制限により仁江空港が代替の空港として使われていたのです。主に鳥豊地方への路線が仁江空港から発着していたほか、当時はまだアメリカに統治されていた富原地方(1968年に日本に返還)への便も就航していました。

 仁江鉄道と国鉄は、仁江空港へのアクセスを改善する目的で、1963年から特急・快速の直通運転を開始しました。当時は仁江鉄道のホーム有効長の都合で、特急・快速ともに4両編成までしか入線できませんでしたが、1964年7月には特急9連・快速10連までの入線が可能となり、直通列車の増発が行われました。

 1968年には両得電鉄仁江急行線が開業し、第二の都心アクセスルートとして両得電鉄線との直通運転が開始されます。永京駅までは国鉄外郷線経由よりも両得電鉄経由の方が距離が短いことから、当時は上谷駅-仁江駅-仁江空港駅間の特急が毎時1本から2本運行されていたほか、上谷駅または津喜駅から仁江空港駅へ向かう普通や急行が通勤型車両により運行されました。

 国鉄・両得双方からの直通電車を多数運行するため、1969年には全線の複線化が完了しました。また、1972年には仙豊鉄道(当時)が仙鉄仁岸トンネル(海底トンネル)を開業させたことから、仙豊鉄道線(現在の結急八田山線)方面への直通急行・特急の運行が開始されました。

 ところで、1972年までは自社所有車両が他社線に乗り入れることはなかったのですが、沿線の開発・発展に伴い利用客が大幅に増加していたことから、同年に新型車両「1000系」を導入しました。また、翌年には1000系をより混雑に対応できるような構造に変更した「2000系」も導入され、1979年までに自社所有のすべての車両が1000系または2000系となったほか、国鉄・両得・仙豊各線への直通運転も行われました。

第二の柱

 1978年、津喜県内に富街国際空港が開港しました。この空港の開港により永京空港の旅客機発着枠に余裕が生まれ、それまで仁江空港発着だった便の一部が永京空港発着に変更されました。また、当時はまだ建設中であるものの、永京駅と神場駅を結ぶ高速線(永神高速線)が1980年代に全線開業する計画もあり、永京と神場を結ぶ飛行機の需要が減少(高速線に流出)することも想定されていました。

 仁江空港への旅客輸送が売り上げの多くを占めていた仁江鉄道では、鉄道事業に変わる「第二の柱」として不動産事業に力を注ぐことになりました。主に仁江市内を中心に住宅を分譲したり、マンションを建設したりしていたようですが、次第に津喜県外にも進出し、1985年には鉄道売り上げよりも不動産売り上げの方が上回るようになりました。奇しくも、この年は永神高速線の永京駅-神場駅間が全通した年でもあり、仁江空港の発着便の減少もあって仁江鉄道にとっては記憶に残る年となりました。

仁江空港の廃港

 1990年代に入ると、都心から遠い仁江空港を移転することが計画されました。永京空港や富街空港の拡張も検討されていましたが、様々な事情により最終的には津喜県光鐘市の海上に新しい空港が建設されることとなり、2017年7月2日に「光鐘空港(ひかりかねくうこう)」として開港。仁江空港発着便のすべてが光鐘空港発着に変更され、仁江空港は廃港となりました。

 仁江鉄道では長年にわたり廃港を前提とした経営計画を建てており、すでに売り上げの大半が不動産事業であったことから経営に大きな影響は出ませんでしたが、津喜県と仁江市による仁江空港跡地の再開発計画により、新しい試みが行われることになりました。

 仁江空港があった場所は、高速道路も近くを通っており、交通の便がかなり良い場所です。そこでここに商業施設や工場などを誘致する計画が立てられましたが、最終的には大型ショッピングモールの「リヒトモール仁江」と物流センターが誘致されました。

 リヒトモール仁江は2019年10月にオープンし、同時にリヒトモール仁江と一体の新駅舎の使用が開始されました。仁江市が環境対策も兼ねて仁江鉄道沿線を中心とした都市計画を推進していることもあり、仁江鉄道の利用客が大きく増加しました。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2023年10月22日

当ページ公開開始日 2020年09月12日