結急設備改良

両得幕沼~津喜間の設備改良

 両得電鉄では線路の複々線化を進めてきましたが、両得幕沼~津喜間は長い間複線でした。

2001年には花見川~両得稲木間の新線が開業。この区間は複々線分の用地を確保してありますが、当面は上りのみ複々線ということになりました。

 大きな変化が訪れたのは2004年。両得本線のスピードアップとサービス改善のため、両得幕沼~津喜間の複々線化が検討されることになったのです。これに備え、同区間の各駅ではポイントの交換(分岐側でも80kmで走行可能なノーズ可動式分岐器)や部分的な複々線化(花見川~汐見ヶ丘間)が行われることになりました。

 ポイントの交換工事は、北鷺沼、検見浜、花見川駅が対象。分岐側の進入可能速度を大幅に上げることにより、各駅停車などのスピーディーな退避を可能としました。この工事は2016年までに完了しています。

 部分的な複々線化は、花見川~両得稲木間、両得稲木~汐見ヶ丘間の二区間に分けて行われています。花見川~両得稲木間は、ほとんどの用地が確保されていたため、2013年までに複々線化されました。

 一方、両得稲木~汐見ヶ丘間はひかり台駅の地下化工事と連動して進められたため、2017年1月に完成しました。この区間は、掘り割りと高架線の二重構造だったり、地下線と高架線の二重構造だったりします。また、汐見ヶ丘は地下線と高架線が地上で合流するため、2面4線の構造になりました

東兵庫駅付近の線路交差

東兵庫付近は線路が合計8本並ぶ「4複線」が見られるます。特に東兵庫駅の東側は古林線と両得本線が分岐し、それぞれの路線へ合流できるよう連絡線が設けられています。この連絡線がどのように使われるか紹介します。

両得本線津喜方面から上谷方面へ向かう優等列車の例です。連絡線に入った後は、浦原線方面への線路の上を通って上谷方面の線路に合流します。


今度は逆に上谷方面から津喜方面へ向かう優等列車の例です。東兵庫を発車してしばらく走り、緩行線の線路に入ります。その後分岐し古林方面の線路の上を走ります。そして坂を下り津喜方面へ合流するのです。


古林方面から永京方面へ向かう優等列車の例です。津喜方面から上谷方面へ向かう列車が線路の上を走っていたのに対し、こちらは線路の下をくぐります。


古林方面から永京方面へ向かうケースと同様、永京方面から古林方面へ向かう場合も線路の下をくぐります。


備考1 両得電鉄の複々線化の歴史

1960年 両得本線業平~東兵庫間複々線化

1977年 浦原線南砂~浦原間複々線化

1979年 浦原線浦原~塩焼間複々線化

1980年 両得本線東兵庫~船瀬間複々線化

1982年 浦原線塩焼~高谷間複々線化

1982年 古林線東兵庫~鎌原大仏間複々線化

1986年 古林線鎌原大仏~十余一間複々線化

1988年 古林線十余一~古林間複々線化

1988年 浦原線日向道場~南砂間複々線化

2002年 両得本線船瀬~両得幕沼間複々線化

2018年 浦原線永京~日向道場間複々線化(地下新線増設)

備考2 各線の複々線化理由

両得本線

運行本数の増加による混雑緩和のため。

浦原線

両得本線のバイパス路線としての機能を強化し、円滑な列車運行を可能にするため。

古林線

上谷~遠山原間の特急列車高速化のため(国と津喜・茨原・遠山原県から補助金が出ている)。

税金を民間企業である両得電鉄のために使うことに対して反対意見は多かったですが、高速線建設が反対運動により中止されたためやむを得ない補助金が出ることになりました。なお、両得本線津喜~東兵庫間(現遠山原線)にも補助金が出ていました。

備考3 複々線化が進められていたころの両得電鉄

複々線化が進められていたころの両得電鉄は、複々線化はもちろん車両の増発、増結を積極的に行っていました。しかし予算が限られているため、老朽化した車両がなかなか置き換えられなかったのです。そのため、利用客が少ない区間を走るのは旧型電車ばかりでした。

駅も当時は狭いホームが多く、トイレも小汚いものが多かったです。これは利用客が少ない区間に限らず、都心部の駅も同じでした。両得電鉄が駅、特にホームやトイレの改修を本格的に進めたのは、2000年代に入ってからのことです。


※当ページの内容はフィクションです。

当ページ最終更新日 2021年10月17日

当ページ公開開始日 2018年03月21日