2012年に登場した車両です。9000系の設計をベースとしていますが、車体外板のビートを廃止してすっきりとした見た目になりました。
2006年に登場した車両です。座席にSバネを追加することで座り心地が改善されたほか、案内表示器をLCDに変更し、デジタルサイネージ画面も備えました。制御方式はIGBT-VVVFインバータ制御です。
1999年に登場した車両です。7000系の設計をベースとしつつ、新しい車両情報管理システムを採用しており、点検の時間が短縮されました。また、制御方式に新開発されたIGBT-VVVFインバータ制御を採用しました。
登場時の塗装。
1990年に登場した車両で、制御装置にGTO-VVVFインバータ制御装置を採用しました。車体は6000系の設計をベースとしていますが、固定窓を採用するなどの改良が行われました。
登場当初よりドア上の案内表示器(1段式LED)やドアチャイムを備えています。
2005年からは現行塗装への変更が行われました。
2006年からは窓の開閉化工事と、行先表示器のLED化が行われています。
旧塗装車は2009年までに姿を消しました。
1986年に登場した車両です。当時まだ民営化されていなかった地域で導入された「1524系」の設計をベースとしており、制御方式は1524系と同じく界磁添加励磁制御となっています。また、前面デザインは四角いライトを縦に配置した新しいデザインとなりました。中央に扉がありますが、これは非常用であり連結時に通り抜けすることを想定したものではありません。
2005年からは新塗装へのデザイン変更が行われました。
2008年度より内装の更新工事が一部の車両で行われ、施工編成の先頭車にはスカートが取り付けられました。
1980年、風杜地区専用の車両として、当時の国鉄風杜鉄道管理局が導入した車両です。制御装置は本州で導入された「1520系」と同じ、電機子チョッパ制御を採用しています。
高価な電機子チョッパ制御装置を採用していることに加え、富原地区独自仕様のステンレス車体ということもあり、それほど多く導入されませんでした。
2004年からは制御装置のIGBT-VVVFインバータ化が行われ、現在も活躍しています。
1512系は本州の各線に導入されていた通勤型車両ですが、1977年より富原地方にも導入されるようになりました。当初は「富原地方の通勤型車両はステンレス製とする」方針だったのですが、ステンレス車を製造できなくなった風杜製作所、稲穂造船、池田重工に対する配慮や、赤字による予算削減を行う必要があり、鋼鉄製のこの車両が登場しました。
1985年まで導入され続け、2018年に全車両が引退しました。
走行機器類は4000系に準じている(4000系がこの車両の走行装置設計をそのまま採用した)ため、4000系と連結して運行されることが度々ありました。
富原地方が日本に返還された後の1970年に登場しました。風杜エリアの電鉄区間延伸及び、増発に対応するため、最初から8両編成で登場しています。
1972年に富原鉄道公社が国鉄と統合された後も導入が続けられ、1982年まで増備が行われました。
制御装置は本州で導入されていた1512系と同じ設計になっています。後に登場した1512系10000番台との併結も行われていました。
車体はステンレス製ですが、製造メーカーが永京車両と富原重工業のみとなりました。これは技術使用料の問題や製造コストの都合によるものとされています。
内装の更新工事も行われましたが、2011年から廃車が開始されました。
2023年8月時点では10連1本が予備車として残っており、時折富原本線を走るようです。
この車両が登場したのは、富原地方が日本に返還される前の1959年のことです。当時の富原政府と富原鉄道公社では、増大する風杜-西倉間の輸送力増強を目的に、既存の複線線路に新しい電鉄線を増設することにしました。1959年に富原本線の風杜駅-富原山田駅間の電鉄線と、風杜駅-貝原駅間の電化が完成し、同時にこの車両も登場しています。
運行開始時は富原山田駅-風杜駅-貝原駅間にて、ラッシュ時は10分間隔、日中は20分間隔で電車が運行されており、編成は4両編成でした。当時の所要時間は風杜駅-富原山田駅間で36分、風杜駅-貝原駅間で58分となっており、4両編成20本+予備5本が活躍していました。
車体はステンレス製です。風杜製作所、富原重工業、稲穂造船、池田重工による企業連合が製造を担当し、製造技術に関してはアメリカの技術を使用しています。最高速度は100km/hです。
後に電鉄区間の延伸に伴い増備が行われたほか、4両編成を6両や8両、10両に増結する編成組み替えも行われました。改良を加えつつ1969年まで導入されましたが、非冷房車もあったため1988年より廃車が開始され、2010年に引退しました。
1両が富原鉄道博物館に展示保存されています。
・この車両の導入が完了した1969年時点の運用区間は、富原本線本牧-西倉-風杜-田野間、海上線風杜-秋和間、瀬津本線風杜-水瀬間、尾鈴線高見馬場-尾鈴間でした。
登場時の姿。
増備途中から、窓周りのコルゲートが廃止された。