食べること、寝ること、エロのこと。その3つばかり考えている俺は、ただ何事も無く息を吸う時間がひどく退屈に思えてしまって。でもそれじゃまともじゃないって思ったから、新しい趣味を探しているんだけど。
「女心は分らない」って言っていた奴が、結婚した。まったく俺は、女心以前に友達が何を考えているかすらまともにわかってなかったみたいだ。そういや、そいつが言っていた。
「勉強を目的にしていると、痛い目に遭うから。勉強は、人生を豊かにするためのスパイスでしかないから」
ぶっちゃけ、ふーんとしか思わなかったけど、でも妙にグサッとささるような感覚があった。小さい頃から勉強は得意だったけど、ただ人間として大切な何かを犠牲にしてしまった感も否めなくて。彼女いない歴と年齢がリンクしていることに今更コンプレックスを感じないけどさ、でも寂しいじゃん。興味ないって言って強がっているけどさ。
仕事はまあまあ順調で、悪くない。けど、時折「俺って仕事の為に生きているんだろうか」って漠然と思うことはある。でも、仕事以上に大切なものが見つからないってのは、ずいぶんと寂しいことだなって思うことならある。
かといって、今更彼女を作ろうって思っても、どうしたらいいかわからない。いや、出会い系アプリの入れ方とかどういう人間がモテるのかとか、そういうデータは頭に入っているんだけど、でもさ、人間ってデータじゃないじゃん。
データじゃ表しきれない感情。それが一番怖い。
先なんて気にしてなかった頃は、かわいい子がいても照れくさくて仕方ないから「ブス」なんて真逆のことを言って誤魔化していた。はっきり言って俺はクソガキだった。でも、クソガキが大人に化ける瞬間が確かにあって、その頃聴いていた音楽が今FMから流れてきて懐かしい気持ちになっている。でも、記憶が蘇っても感覚はそこまで思い出せないもんなんだね。
好きなバンドが同じでたまたま仲良くなった子に、高校生の頃片思いしていた。性格が合わないところがあっても、バンドとかアニメの話をしていたらどうでもよくなった。2010年代前半頃の邦楽とかアニメは、輝いていてとにかく面白くて楽しくて……
なんてことを呟こうと思ったけど、これじゃ学生だった頃に「昔の音楽はよかった」って言ってたおじさんと同じじゃん。いや、もう年齢的にはおじさんなんだけどさ。
今日も仕事が忙しくて、ただメシを食い歯を磨き、洗濯したり風呂に入ったりっていうごく日常を送るだけで精一杯だよ。
ふとした瞬間に思い出す記憶は、ほろ苦くて、俺にも恋愛感情ってきちんとあるんだなってことを自覚させてくれるけどさ。
でも、まあ、寂しいよね。
高校時代の恩師が言っていた。
「勉強は人生を豊かにするんだよ。だから、物覚えが悪くても勉強したほうが楽しいんだ。楽しい時間を迎えるためには、『勉強』って下ごしらえをしとかないと、楽しい時間を迎えられないからね」
当時は感動したよ。俺はその言葉を信じて勉強や仕事を頑張ってきた。今もその恩師を尊敬しているし、その言葉を信じているよ。
でもさ、
でもさ……
楽しくても満たされない感情って、
どうやって満たしたらいいんですか??
こんなの誰も答えてくれないって分ってるけどさ、
凄く贅沢な悩みって分ってるけどさ。
でもさ……
独身。
アラサー。
今日も普通に生きている。
愛というおまけがちょっと多いだけ。
AIに抜かされそうだ。
投資はいまいち上手くいかない。
お金がもっと欲しいから頑張るって、
口だけは立派。
ビジネス街にあるぬくもりは、
申し訳程度でしかなくて、
飲みに誘われても下戸で、
満たされない感情は、
誰かを見下すことでしか、
満たせなくなった。
ぬくもりがほしい。
ぬくもりはあたたかくて、
つめたくなくて、
殺伐としてないから、
今のご時世とは真逆だよ。
ぬくぬく生きていたい。
そんなの甘えだって、
叩かれそうだけど。
ぬくもりがほしい。
でもぬくもりを手にするためには、
もっと頑張らないといけないみたい。
ぬくもりを手にしている底辺が、
心底羨ましくて。
今年もぼっちの季節がやってきた。
小学生の頃は、今ぐらいの年齢になったら結婚して、子どもも出来て幸せにやっているんだろうなって漠然と思っていた。自然にそうなるんだって、ただ思っていた。
けれど、まだぼっちだな。私。
落花生畑で落花生を乾燥させるために作られる塊。それを「ぼっち」という。地元の名産品で、富街といえば空港と落花生って言われるほどの存在。この時期の風物詩なんだけど。
ぼっちが仲良く並んでる。けれど私はひとりぼっち。ただ何となく受け身で日々を生きて、「楽できればいいや」なんて思いながらあらゆる事から逃げて、本気になるのが怖くて本気を出さないで生きてきた。
彼氏が欲しいとか、欲しくないとかじゃなくて、彼氏がいる生活ってのが想像できない。まるで別世界のことのように思えて、現実的な感じがしないのだ。職場のイケメン君は、同じく富街から来ているかわいい同い年の女の子と結婚して幸せそうだし、かといってそれ以外の男子はなんかいまいち好みじゃないっていうか……
アイドルみたいなイケメンを口説けるほどの見た目じゃないし、幸せになりたいっていう欲望よりも食欲の方が勝ってしまうから、こんなお腹だよ。お腹はつまめるのに幸せはつかめていない。いや、こんなお腹でもダイエットしないで甘いの沢山食べちゃう生活って、幸せなのかも。
そういや誰かが言っていた。誰だっけ、有名な偉人の言葉をそのままパクったらしいんだけどさ。
「常識は、大人になるまでに身につけた偏見で決まる」
きっと私にとっての「常識」は、恋愛は身近なようで案外遠い概念で、ただ漠然と恋愛したいっていう想いよりも食欲の方が勝る。そして、恋愛のために重い腰を上げるのは面倒くさいってことなんだろうな。
常識を変えられる大人になりたい。
でもこんな性格じゃ、とても常識を変えられる大人にはなれなさそうだけどな。
11月に入って、
夜が長くなって、
テレビで放送されてる人気のアニメ映画を見て、
それを見終わってさあ寝るぞっていう瞬間にさ、
「ぼっちいやだ」
って思ううんだけど。
わかってんだ。こんな性格じゃこれからもずっとぼっちだって。ぼっちを脱却するための努力なんてしないことなんて。結婚紹介所に登録する勇気なんてないし、まだそんなことをしなくても案外なんとかなりそうな年齢だし。将来に対する危機意識なんてまるでなくて「いまのままが続けばいいや」って何となく思うだけで。
「はあ……もっとあの女優みたいに綺麗な顔をしていたらなあ」
こんなことを相談できる友達ってたった一人しか居ないんだけど、そもそもその友達は恋愛なんかよりもアニメに夢中で、私みたいに恋愛経験が全然ないものだからさ。だから、ネットで何となく「ひとりぼっち」って検索してみた。そしたら、「ぼっちって悪くないよ」って言う人もいれば、「ぼっちつらい」って嘆く人もいて。
ただ検索しただけで何にもならないけど、でも私は、いまひとりぼっちで眠りにつこうとするこの現状を変えたいって、今まで以上に思えた。世の中には、恋愛で傷ついている人が沢山いるらしいし、夫婦生活が上手くいかなくてストレスの原因になっている人も沢山いるらしいし、そんなことを考えたらキリが無いけど。
0時頃の私は、
いつか出会える人の幻想を見ていた。
あれから数年経ってもつい名前を口にしてしまう相手がいる。数ヶ月前にあることがきっかけで連絡を取り合っていた時期があったが、音信不通になってしまった。
昔から私は悩みや失敗を引きずってしまう性格だ。それは人によく言われることだし、何よ自覚もしている。そしてそれは、恋愛においても同じなのである。
じきに駅前の木々はイルミネーションで照らされて、スーツを着て正体を隠したサンタクロースが店を行き交えば、クリスマスがやってくる。除夜の鐘が鳴り出せば、テレビに歌を歌う人だとか、お尻を叩かれる人だとかが映って、そうやっていつのまに年が明けるんだろう。
知ってるさ。
サンタさんがもう来ないのはともかく、今年もあの人の瞳を見つめるどころか、声を聞くどころか、メッセージを送り合うことはないってこと。だってそれは毎年の事だから、だからもうそれで憂鬱になることはないのさ。
でもそれは私の中で矛盾している。
やっぱり、本来であればあの人の瞳を見つめて、お互いプレゼントを渡して、甘い言葉をささやきあう冬を迎えたかった。何なら、あの人でなかったとしても、そういう関係の人が今年こそはできて同じことをしたかった。
大好きな歌手の新しいアルバムの、数番目の曲を聴いて思わず泣いてしまった。「待っていた」だとか、「どんなに経っても」だとか、そういう言葉をただ聞くだけでうるうるするようになった。涙もろくなった。
最近嘘がつけなくなった。特に自分に対してだ。今までは、強がって「なんともない」の一言で済ましていたはずのことも、ふと考えてしまうようになった。たぶん、そういうことはどんなに消そうとしても消えないのだろう。
いつもの帰路。近郊の住宅街は、車さえ通らなければただ静かで、私を照らすのは街灯ぐらいである。家々の窓の明りはまだ付いている。その中は賑やかであってほしいのだけれど、でも、私みたいに寂しい夜を迎えている人も間違いなくいるだろう。
今年の年末こそは、君の瞳を忘れてみせよう。
想いをすべて消し去る自信はないから、まず脳裏の、その君の瞳とやらを忘れてみせるのさ。
どうか、私は君を想っていた日々だとか、ふと思い出してしまった時の感情だとかは、この時期の空気のように澄んで見えますように。
永京首都圏の都心からだいたい50~60kmくらいのところにある都市。富街国際空港があるほか、落花生、スイカの名産地としても知られている。